〈華麗に、パワフルにオモニ舞踊家たち〉−上 |
母として、妻としてだけではなく、自分自身として「精一杯」生きてみたいという女性が増えてきた。どれもこれも完璧にこなすのは大変だけれど、「尽くす」だけの人生ではつまらない。好きなことがあって、一緒に頑張れる仲間がいるから、そして、それを応援し支えてくれる家族がいるから輝ける。民族教育の場で朝鮮舞踊を習い、卒業後、朝鮮歌舞団はじめ各地の朝鮮学校で民族舞踊を踊り続けてきた朝鮮舞踊の旗手たちが、結婚後も頑張り続けている。意欲的に人生を歩む「オモニ舞踊家」たちを追ってみた。(金潤順記者)
夫との約束
兵庫県在住の金幸淑さん(35)にとって舞踊は、「なくてはならない発散の場」となっている。「舞台の上で4〜5分踊るために、数百時間という時間をかけて体を作る。大変だけれど、踊りきった後の達成感といったら何とも言えない」。それが群舞ともなると、民族のチャンダンに合わせてバシーッ!と決められたときには、体中に何とも言えない快感が走る。 現在、5歳と1歳の息子を育てている金さんは、舞踊を続けることによって「子どもを犠牲にしてはいけない」と、夫に厳しく言われている。「家事と育児をきちんと、これが舞踊を続ける条件」。家庭によって事情はさまざまだが、「オモニ舞踊家」たちの最大の理解者であり協力者は、夫である。普段は週に1回、公演が近づくと、週に3、4回とどんどん時間を割かれていく。 「だからできないという人も中にはいる。家庭の事情もあるし、強要はできない」。金さんとて公演が近づくと、家事も練習も必死になる。限られた時間の中で、すべてを完璧にこなすのは至難のワザ。それでも自分自身を大切にし、「やりたいこと」を放棄しないという姿勢が輝いて見える。 厳しい情報に反撃 文芸同大阪支部舞踊部の任秀香さん(39)も、「オモニ舞踊家たちのパワーはどこから来るのか不思議に思う」と話していた。大阪の場合、100%学生時代からの経験者で構成されているが、未婚者と既婚者(子持ち)の割合は半々で出席率も非常によい。
「大阪は、同胞行事が多いから、舞踊公演がめじろ押し。最近では、在日同胞を取り巻く環境が極めて悪く、舞踊部ではそれに対抗する形で精力的に芸術活動を行っている。まさに攻勢が厳しいほどにパワーを増していくというか…(笑)」 任さんの話によると、オモニ舞踊家たちはつきあいの幅が広い分、公演の宣伝やチケットの販売にも顔が利き、「とても頼もしい存在」だという。昨年11月、大阪で行われた「第5回朝鮮舞踊の夕べ」には、同胞、日本人など約2000人が詰めかけた。ここには、「朝鮮舞踊を通じて両国間の友好関係を深め、子どもたちにより良い暮らしの環境を」と願うオモニたちの気持ちも含まれている。 負担はあっても 朝鮮舞踊は、音楽、振り付け、衣装、小道具、背景など、たくさんの要素が盛り込まれた総合芸術である。文芸同では衣装の取り寄せから作品の伝習まで、直接朝鮮で行う形態を取っている。費用はすべて自己負担。 李松栄さん(大阪、31)は、昨年12月に東京で行われた舞踊公演に出演するため、時間・経済的な負担を抱えなくてはならなかった出演者たちの努力は「並大抵ではなかった」と振り返る。公演準備期間には、「家庭崩壊」の危機にさらされた家もあった。しかし、オモニ舞踊家たちは協力し合って公演を成功させた。 地道な活動
舞台の上だけではなく、文芸同では、地道な芸術活動にも力を注いでいる。朝鮮歌舞団の舞踊家としての経験を生かし、李さんは退団後も学校や支部の文化サークル、朝鮮舞踊研究所でチャンゴや舞踊、リズム体操の指導に当たり、日本の高校で朝鮮舞踊を教えることもあるという。少々「頑張りすぎる」妻を見て、夫は「もうプロじゃないんだから少し控えれば…」と心配するが、李さんの舞踊熱は冷めることを知らない。 「結婚して辞めることを悩んだ時期もあったけど、それでもやっぱり辞められない。やっぱり舞踊が好きだから」。「好きだから続ける」という思いは、彼女たちの最大の共通項である。 「好きだから、素敵だから、素晴らしいから続けられる。朝鮮学校があり、卒業後も踊れる場所があり、仲間がいて、無理を言っても理解してくれる家族がいて、大好きな舞踊を通じてたくさんの日本の人とも仲良くなれたらもっと良いじゃない」と朴末子さん(45、大阪)は話す。朴さんは、文芸同のみならず、地元・城東支部の舞踊サークルで未経験者たちを対象に、11年前から朝鮮舞踊の普及にも取り組んでいる。 [朝鮮新報 2004.5.17] |