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康永官総連中央元財政局長 弁護団真相報告会、吉峯啓晴主任弁護人の発言(要旨)

 4月6日、東京都千代田区の朝鮮会館で行われた康永官総連中央元財政局長弁護団真相報告会での要旨を以下に紹介する。

 康永官氏に対する東京地方裁判所刑事第9部の懲役6年という3月26日付判決は、結論から言えばたいへんおかしな判決だ。

 康永官氏は2001年11月28日に逮捕され29日に勾留決定がなされた。そして同日、朝鮮会館に対する捜索、差押が強行された。康氏は逮捕から今日まで、859日という長期間いまだ身柄が拘束されたままだ。

 この間9回、裁判を担当している東京地方裁判所の係属部は、弁護人からの保釈請求を受け、身柄を拘束しておく必要はないということで保釈決定を下している。が、東京高等裁判所は、係属部が保釈決定したことに、実に9回も保釈決定はおかしいという検察側の抗告を受け入れて保釈を取り消してしまった。

 この事ひとつをとっても、実際裁判を担当し、一番事件を知っている係属部がもう身柄を拘束している必要はないと考えているのに、東京高裁が、この決定を9回も取り消してしまうのは極めて異例である。裁判に関する記録をほとんど見ないまま、保釈を拒否している。

 裁判は証拠に基づいてやらねばならないが、裁判所が証拠に基づかずに、週刊誌などに影響されて、予断と偏見に基づいて判断をしている。

虚偽の供述に喜ぶ捜査当局

 いわゆる朝銀事件が発端で、朝銀東京の幹部、担当者が逮捕されたが、その前の段階で、内部で口裏合わせがなされた。そしてこの関係者らは、事件の重要な点である「横領金」の入出金に使われていた仮名口座について、康永官氏が管理していた口座だ、通帳も印鑑も康永官氏が持っていた、窓口に来てお金をおろしていたなどの虚偽の供述をすることになる。

 これを知った捜査当局はおおいに喜んだ。もしそれが本当なら、朝銀問題で朝鮮総連の幹部を立件することができ、朝鮮総連に踏み込むことができるからだ。

 そして検察官は、朝銀関係者を逮捕して、虚偽の内容の調書を次々と作成していった。朝銀関係者らは口裏合わせをしているから、それこそ供述内容が合致し、具体的なものになった。当然検察官が作成するわけだから、相互に矛盾のない、細かいところまでいろいろ説明した具体的で臨場感にあふれる調書ができてくるわけだ。

 これに基づいて、康氏が取調べを受けることになる。もちろん康氏は否認した。

 実は、康氏が起訴される2001年12月18日の直前の時期、証拠上、なかなか立件できないのではないかという話が広がっていた。新聞記者の間では、康氏は立件されないらしいということが語られていた。警視庁の捜査2課も定例的に記者会見を開いていたが、これをできない状況に追い込まれていたとのことである。捜査2課の担当者は、起訴は無理だろうと話しながら、沈痛な表情を浮かべていた。

 ところが康氏を起訴できないとなると、朝鮮会館に対する捜索、差押など、外交関係の基本に違反するような強制捜査が、実は理由がなく無理なことだったことがはっきりとする。検察官とすれば、断じて起訴せざるをえない状況だったと私は考えている。

崩れた最重要承認の証言

 刑事裁判は言うまでもなく、適正手続きを遵守し、証拠に基づいて適正な事実認定をしなければならない。刑事裁判の一番の原則は証拠裁判主義、すなわち証拠に基づいて判決を下さなくてはならないということだ。

 近代国家では、無罪の人をまちがっても有罪にすべきでないという原則が確立されている。

 そのために2つの原則がある。ひとつは拷問、脅迫、長期間の勾留などによって得られた自白は証拠にしないという自白法則である。もうひとつは、また聞きの供述の証拠能力を否定する伝聞法則というものである。その根底には、密室で聴取された調書よりも公開された公判廷において宣誓した上でする証言の方が信用できるという考え方がある。

 実は、朝銀東京の関係者全員が公判廷で、康氏と例の口座は一切関係ないことを明言した。そして自分たちに刑事責任が及ぶことをおそれて、口裏合わせに基づいて捜査段階で虚偽の供述をしていた事実を率直に認めた。預金通帳と印鑑は朝銀東京側で終始管理し、康氏がこれらを持っていたということはありえないということをはっきりと証言した。これには検察側が慌てた。

 唯一違うことを言ったのは、総連に関する批判本を出した韓光煕氏だ。韓氏は検察側が最重要証人と位置付けた人物。彼が一番信用できるということで、裁判における検察側の立証は彼に対する証拠請求から始まった。

 しかし韓氏は、本の中でも事実と違うことを並べ、また、調書でもウソばっかり言っていたために、自分が言っていることが崩れ去ることをおそれて、結局、裁判所には出て来なかった、というのが本当のところだ。彼は例の仮名口座の預金通帳のことを、康氏の引き出しの中にあるのを見たと言った。検察はそれを信用できるとして、この供述に基づいてストーリーを創作した。

 裁判所に出てくる元気のなかった韓氏は、非公開で行われた期日外尋問において、弁護側の反対尋問によって、次々と自分の言っていたことが崩されていった。事実と矛盾するありえない証言の連発だった。

 その最重要証人の韓氏について、今回の判決では、脳梗塞の影響があるとかで記憶違いがあるとの指摘をしつつも、総連に対する敵意と悪意を持っている、客観的事実と違うことをずいぶん言っている、ということで、その信用性を否定した。えん罪事件のでっちあげの出発点である彼の証言が事実と違っている以上、検察官の描いたストリーが虚偽であることは明らかであった。

 捜査段階で虚偽の供述をしていた関係者も公判廷では本当のことを言って、また、韓氏のでたらめが明らかになったので、康氏も傍聴人らも、康氏が無罪になると思っていただろうと思う。

ことごとく保釈請求を拒否

 この間、われわれの保釈請求を東京高裁は一貫して却下している。

 逃亡の恐れ、証拠隠滅の恐れがある場合は、保釈を認めない理由となる。しかし康氏の場合は、ひざが悪くて逃亡どころではない。ゼロと言って良い。また、こんなに検察、警察が見張っている中で、どうやって証拠隠滅をするのか。しかも強制捜査まで強行して捜査段階で証拠を既に収集しているのであるから、康氏がこの段階で証拠を隠滅する可能性は皆無である。

 当初、係属部も保釈請求を6回にわたって却下する。康氏は、1年4カ月の間、接見禁止で家族にも会わせてもらえなかった。

 ただ、7回目の保釈請求をしたあたりから、裁判所に少し変化が見られた。8回目の保釈請求からは、もう身柄を拘束しておくような事件でないと考えるに至る。その後、係属部は9回保釈決定を出し続けた。このとき裁判所は、康氏が無罪だということを分かっていたと思う。だから保釈決定を出し続けたと思う。きちんと証拠を見つづけてきた裁判所だから、適正手続き、証拠主義裁判にもとづく以上は、康氏を無罪にせざるをえないのではないかと思っていた。

 今回の判決は、絵に描いたようなインチキな判決だ。

良心のかけらもない裁判官

 裁判所は、あたかも弁護側の主張に配慮しているかのように、検察官の主張の一部に矛盾があることを指摘しながらも、弁護人の主張を合理的理由なく退けた。

 検察側、弁護側双方の言い分があるわけだから、裁判所はその両方を照らし合わせて、きちんと出ている証拠から丁寧に論点ごとに吟味しなければならない。証拠を案じていけば、無罪になるのは明らかだ。

 裁判所は、捜査段階での関係者らの証言については一部矛盾があるけれども、康氏が口座を管理していたことには矛盾がないとして信用できると言う。他方で、これを覆した公判における関係者らの証言は、康氏のものでないと一貫して言っているけども、捜査段階の供述と矛盾するので信用できないというのだ。

 捜査段階の供述が信用できる理由を、具体的で、体験したものでなければ分からない迫真性、臨場感があり、心情もまじえて、首尾一貫性があると言っている。検察側はこのような調書をつくるのが仕事だ。過去のえん罪事件では、常にこのような調書がえん罪の根拠となってきた。

 誰が通帳と印鑑を保管していたかという重要な問題について、まったく事実と違うことがはっきりしたにもかかわらず、裁判所は捜査段階の関係者らの供述を信用できると言う。

 こっちを信用できると言ってしまえば、これと矛盾するものはすべて信用できないと言うのは簡単なことだ。誠実でないし、裁判官の良心のかけらもないと言わざるをえない。

 裁判官が置かれている状況はきびしい。東京地裁で良心を貫いた裁判官は地方に追いやられる傾向にある。

 今回の3人の裁判官は、適正手続き、証拠に基づいて事実認定をしなければならないという立場と、今の世論、今の日本政府の立場に迎合しなければならないという間で、判決の前は本当に悩んだと思う。

 しかし、悩んだ末、最悪の判決を出してしまった。

[朝鮮新報 2004.4.16]