「過去」の風化を待つ日本 |
219。44。27。 この数字が何を指すのか。つい先日まで記者は知らなかった。今でも多くの人が知らない。 日本軍性奴隷被害者、郭金女ハルモニ(79、朝鮮在住)の証言を収録したビデオ―「アリラン峠を越えて」の上映会に参加した。 映像越しにハルモニが淡々と語り出す。 「…、…16の年に連れ去られ…、暗く狭い部屋に押し込められ…、一日に数十人の相手をさせられ…、蹴られ…、殴られ…、…」 過去が記憶として甦り、記憶が生々しい場面へと切り替わる。憎悪が声を震わせ、悔しさが胸を掻きむしる。いつしか証言は嗚咽混じりの慟哭へと変わっていった。青春を奪った日本軍。女を奪った日本軍。ハルモニは泣いた。 思えば。 性奴隷被害の惨苦を「歴史的事実」として脳裏に留め置くだけではなかったか。頬を打つ熱いモノもそのつど、そのつどではなかったか。人任せの怒りに身を委ねてはいなかったか。 証言を決意をしたハルモニ。どれほどの覚悟と勇気を要したことだろう。後代に未来を嘱す隻句にも魂が宿り、片言が肺腑を突き、やがて五体を廻る血潮に溶け込んだ。 日本軍による性奴隷被害者はおよそ20万といわれる。その蛮行は、半世紀を経た今も未解決のまま何の補償もなされていない。このまま日本政府は植民地支配という「過去」の風化を待つつもりなのか。 ハルモニは歌が好きだ。映像の中でもいろんな歌を口ずさんでいた。とりわけアリランの旋律が印象的だった。美しい山河や青々と茂る枝垂れ柳が、望郷の声調に乗って追憶のまま鮮やかに蘇生する。遠く故郷を想うハルモニの万感が聴衆の胸に去来した。 現在、日本軍性奴隷被害者として名乗り出たハルモニは219人。そのうち、44人が本名を公表した。そして27人がすでに亡くなられている。(健) [朝鮮新報 2004.4.13] |