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総連第20回全体大会に向け知ろう総連の歩み(27)

 総連は第17回全体大会の決定を具体化するための活動を推し進めた。在日朝鮮人運動を新たな段階に発展させるためには、同胞の生活に直結した活動を展開しなければならないとして支部、分会の活動強化にポイントを置いた。1994年7月7日、「総連支部活動家大会」(大阪朝鮮文化会館)が開幕。金日成主席は当日付けで祝電を送った。これは総連に向けた最後の教えとなった。総連は支部組織強化のためにいろいろと対策を講じた。「支部は在日同胞が異国の地でも民族の魂を守り生活を営む地域同胞社会の拠点である」(中央委員会第17期第2回拡大会議、96年3月)として自己の大衆的地盤強化のための重要対策とした。そして3回会議(97年1月、2、3回ともに許宗萬責任副議長が報告)では「総合的な地域的拠点」「愛国事業の基本単位」として支部強化の3つの課題と内容を明確にした。「中央委員支部」を大幅に増やす方針を決めたのもこの会議だ。

 90年代半ば、民族学校の権利獲得で前進を見た。千葉のオモニたちが起こし全国的な規模で展開した朝鮮学校児童、生徒のJR通学定期券割引差別是正運動が、26年間の年月を経て94年に解決した。

 90年4月、大阪朝高女子バレー部が大阪府高体連に加盟手続きを出し受理されたが、5月には撤回された。同胞たちは各地で粘り強い参加要請活動を繰り広げた。こうした運動の結果、「各種学校」だとして朝鮮高校には参加資格がないとしてきた全国高校野球連盟(高野連)が92年に正式参加を、全国高校体育連盟(高体連)は93年5月特例処置で朝高生のインターハイ参加を認めた。日本サッカー協会は95年6月の理事会で全国高校サッカー選手権大会の参加を認めた。全国中学校体育連盟(中体連)も96年3月の理事会で特例としての全国大会参加を認めている。ボクシング、重量挙げ、サッカー、ラグビーなどの種目は全国大会に出場し、好成績を上げている。

 98年8月31日、共和国は独自に開発した人工衛星の打ち上げに成功した。だが、日本ではこれを「弾道ミサイルの発射」だとして大々的な反共和国、反総連キャンペーンが繰り広げられた。日本政府は「制裁」措置を相次いで発表し、マスコミは「北朝鮮脅威論」を吹聴した。総連と在日同胞は一部勢力による不当、不法な行為によって総連機関、金融機関、学校が攻撃の対象となっている事から日本当局に対し、取り締まりの強化と再発防止を強く要請した。また千葉県本部会館放火と千葉支部副委員長惨殺の真相を究明し、背後関係を調べるよう求めた。(呉圭祥、朝鮮大学校教授)

[朝鮮新報 2004.3.16]