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総連第20回全体大会に向け知ろう総連の歩み(25)

 1994年7月9日正午、朝鮮労働党総書記である金日成主席が8日に逝去したという悲報が重大放送を通じて伝えられた。主席は朝鮮革命の指導思想であるチュチェ思想を創始し、日本と米国の2つの帝国主義とのたたかいを勝利に導いた。朝鮮労働党と朝鮮民主主義人民共和国の創建者、指導者であり、総連と在日朝鮮人の恩人であり、指導者であった。総連の結成と発展は主席の指導と配慮を除いては考えられない。主席の逝去は、朝鮮人民はもとより在日同胞にとっても最大の悲しみであった。

 総連は韓徳銖議長を団長とする追悼代表団を派遣し在日朝鮮人の哀悼の意を表した。総連の各本部、支部には祭壇が設けられ、地域同胞や日本人士の弔問を受けた。中央、本部単位の追悼式も厳粛に行われた。10月15日には主席の逝去100日在日本朝鮮人中央追悼大会、95年7月8日には逝去1周年追悼大会などを開催して主席の死を悼んだ。総連と在日同胞は「悲しみを力と勇気に変えて」という金正日総書記の呼びかけに応じて、主席の偉大さ、人間性を心に刻んで、主席の教えを忠実に守り活動する事を誓った。

 95年1月17日明け方、神戸地方を大地震が襲った。死者6432人という大惨事であった。3月4日までに分かっただけでも同胞125人の貴い生命が犠牲となり、住宅と工場などが全壊、半壊あるいは焼失する被害を被った。本部などの総連の会館と宝塚朝鮮初級学校校舎なども被害に遭った。総連と在日同胞たちはただちに被災同胞の救援に立ち上がった。震災の翌日、総書記は総連中央議長に慰問電を送り被災地域の同胞たちと遺族に対して深甚なる慰問と哀悼の意を表した。また25日には被害に合った同胞が一日でも早く回復するためにと100万ドルの慰問金を送った。総連は「阪神大震災被害同胞救援総連中央対策委員会」を設置し、兵庫県には現地対策委員会がつくられ不眠不休の救援活動が繰り広げられた。総連中央委員会第16期第4回拡大会議でも被災同胞を救援する活動を全同胞的に展開することを決めた(2月2日)。総連は全国の組織に呼びかけ救援物資と救援金を集め、被災者たちにじん速に届けた。車で運べなければバイクで、バイクがだめなら自転車で運んだ。震災直後に動いたいくつかの組織の中で総連が最先端を行っていたというのは決して誇張ではない。3月4日には「阪神淡路大震災犠牲同胞合同追悼式」が悲しみの中で行われた。爆撃を受けた戦争の焼け跡のような状況から同胞たちは力強く立ち上がった。(呉圭祥、朝鮮大学校教授)

[朝鮮新報 2004.3.11]