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総連第20回全体大会に向け知ろう総連の歩み(23)

 1980年代の終わりから90年代のはじめにかけて朝鮮半島情勢は大きく動いた。89年7月1日から8日まで平壌で開かれた第13回世界青年学生祭典(平壌祭典)には世界180カ国の青年学生代表団などが参加し、祭典史上かつてない規模となった。南朝鮮100万学徒の組織「全国大学生代表者協議会(全大協)」代表(林秀卿)も参加した。

 在日同胞はこの祭典に主催国の一員としての自覚を持って参加し、相応の役割を果たした。在日朝鮮青年代表団、青年商工人奉仕団、同胞女性奉仕団、そして参観団として参加した3000余人の同胞たちは準備から携わり、祭典期間中も全力で成功に寄与。総連の存在感を内外に広く知らしめた。金日成主席は、祭典参加の同胞代表団、奉仕団、参加者と会見し、記念写真を撮った。

 90年8月、共和国で北と南、総連をはじめ海外の同胞1000人が参加した祖国の平和と統一のための汎民族大会が開かれた。これは民族の統一運動史に刻まれる歴史的事変である。

 在日同胞たちは祖国統一への願いからこれに積極的に関った。「祖国統一促進、8.15汎民族大会参加在日朝鮮人大行進」(7月18〜27日)は統一への気運を一層盛り上げた。行進団の到着を歓迎し1万余人が参加して開かれた中央大会では、韓徳銖議長が報告し、汎民族大会在日朝鮮人代表団団長と108人の代表が紹介された。徐萬述団長は、統一を見ずに異国でこの世を去った同胞の恨を解くためにも大会を成功させる義務を果たすと決意を述べた。汎民族大会に送る祝賀文も採択された。

 8月13日の白頭山出発式から18日の最終日までの汎民族大会で、総連は貴重な役割を果たした。大会で採択された統一文献、とくに決議文とアピールを支持して広く宣伝し、挙族的な統一運動組織である「祖国統一汎民族連合」に結集して、希望の年代、統一の年代である90年代に祖国を統一するための活動を活発に行った。

 90年9月28日に朝鮮労働党、日本社会党、自由民主党による「三党共同宣言」が発表された。宣言では「過去に日本が36年間朝鮮人民に与えた大きな不幸と災難、戦後45年間朝鮮人民が受けた損失について、朝鮮民主主義人民共和国に対し、公式的に謝罪を行い十分に償うべきであると認める」など8項目が明記された。総連と在日同胞はこれを熱烈に歓迎した。朝・日関係改善の兆しが見られる中での「国立平壌芸術団」の歓迎、歓送と日本公演(90年9月16日〜10月17日)の成功にも総連は積極的に寄与した。(呉圭祥、朝鮮大学校教授)

[朝鮮新報 2004.3.6]