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総連第20回全体大会に向け知ろう総連の歩み(22)

 総連運動の展開過程は、総連運動に反対し瓦解させようとする一部の勢力とのたたかいの過程であったともいえる。1980年代の後半、総連反対の動きが顕著な形で現れた。南朝鮮大統領選挙が終盤戦に入っていた87年11月29日、アブダビを出発した大韓航空機がミャンマーのアンダマン海上空で失踪する事件が起きた。航空機の所在すら判明していない段階で南朝鮮当局は「北の仕業」と騒ぎたて、犯行を自白したという「蜂谷真由美」=「金賢姫」にテレビ会見までさせ、世論をあおった。(88年1月15日)。このような中で日本の一部勢力による反共和国、反総連キャンペーンが繰り返され、日本各地で総連に対する破壊策動と朝鮮人に対する人権侵害事件が頻発した。

 総連と在日同胞は一連の犯罪行為の取締りと事件再発防止、在日朝鮮人の人権擁護を内外世論に訴えた。日本政府への申し入れ(12月14日)、内外反動の悪らつな謀略策動を糾弾する在日朝鮮人大会開催などできる限りの対応を行った。

 89年には「パチンコ疑惑」という反共和国、反総連キャンペーンが展開された。直接的なきっかけは「週刊文春」のパチンコ業界に関する連載記事であった。それが国会で取り上げられ、89年10〜11月の国会審議は「パチンコ問題集中審議」となるに至った。遊技業の「全国共通プリペイドカード」制導入問題と関連する、政争の具にする、などいろいろ言われたが、この騒動の究極の目的は、共和国と総連に対する誹謗中傷と攻撃にあった。10月17日の衆院予算委員会での質疑で日本当局は、朝鮮総連に対して「非常に危険な団体」とし、20日には「治安的にも重大な関心を払わなければならない」と公言してはばからなかった。民族教育については実態を調べ、「適切な処置」をとるとした。日本政府の総連に対する不当な中傷と相まって、各地で在日朝鮮人に対する暴行や嫌がらせ事件が相次いだ。

 総連は、中央常任委員会声明、副議長談話などを発表して適時に総連に対する事実無根の攻撃をやめるよう内外に訴えた。また、日本当局の総連に対する誹謗中傷を糾弾し、在日朝鮮人の民主主義的民族権利を擁護するための中央大会を開催、大衆的な「民族的怒り」は頂点に達した。総連と在日朝鮮人は、一貫して日本当局の共和国敵視政策を是正し、総連弾圧、人権侵害をやめるよう求めた。とくに朝鮮学校に通う児童たちを暴力、暴行から守るために全力を尽くした。(呉圭祥、朝鮮大学校教授)

[朝鮮新報 2004.3.4]