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〈思い出の日々〉 留学同結成に向け奮闘

 留学同中四国が誕生する過程においては、いくつかの「偶然の出会い」があった。

 私が四国学院大学1年の頃は、地域に留学同がなかったため、留学同兵庫に属しながら四国の学生たちと活動する形をとっていた。

 98年、朝大で行われた学術発表会への参加が、偶然の始まりだった。月刊誌「セセデ」(朝鮮青年社)に、私の学術発表会の感想が載ったのだ。

 「中四国に留学同を作るのが夢です」というコメントの載った記事を見た、総聯香川県本部に勤務する姉から連絡があった。留学同中四国結成に向け、協力してくれると言うのだ。姉の協力はとても大きな力となった。また、この年から定期的に神戸朝高などから学生が入学してきたことも結成につながる一因となった。

 これを機に、香川県を基本とする四国各本部の協力を得ることになった。四国に住む同胞学生は少ないが、ある程度は確保できた。

 地理的に近い岡山で、四国と同じように「留学同を作ろう」とがんばっている人たちとの出会いもあった。だからこそ留学同中四国を結成できた。

 岡山の学生とつながる事で、総聯県本部からもいろいろな側面から協力を得る事ができた。各本部の理解と協力がなければ、間違いなく今の留学同中四国はなかっただろう。

 もうひとつ忘れてはいけないことは、各地域の学生たちとの出会いだ。結成にいたったのは、四国、岡山、広島、島根まで広い範囲の学生たちの協力があったからこそ。結成時のメンバーがひとりでも欠けていれば無理だったと思う。

 小さな偶然から多くの人たちとつながる事。また、留学同を作るという一つの目的に向かうと、そこには多くの「出会い」があることの大切さを活動を通して後輩たちに知ってもらいたい。いろんな人とのつながりによって結成された留学同中四国。決して規模は大きくなくても、他の地域にはない、自分たちのスタイルを持ったすばらしい留学同にしていってほしい。

[朝鮮新報 2004.3.2]