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総連第20回全体大会に向け知ろう総連の歩み(19)

 祖国の発展に寄与する活動も時代とともに変化を見せた。1960年代は技術者集団の帰国、70年代は工場設備を送る事業などがあったが、80年代は合弁事業の展開が象徴的な出来事であったといえよう。在日同胞商工人などが愛国心を結集させて共和国に送ったラーメンや醤油などの各種食料工場設備やアルミニウム工場設備などには、「愛国工場」の名が冠され共和国の人々に愛されている。同胞商工人の中には、祖国と共同での企業活動を希望する人も少なくなかった。

 84年9月8日、朝鮮民主主義人民共和国合弁法が施行された。全5章26条からなり、合弁の基本、合弁会社の組織、理事会と経営活動、決算と分配、合弁会社の解散と紛争の解決などが明記されている。第5条には「在日朝鮮商工人をはじめ海外に居住する朝鮮同胞たちもこの法に基づいてわが国の会社、企業所と合弁することができる」と記されていた。金日成主席は86年2月の商工連合会結成40周年感謝団と会見した際にも、合弁の意義について述べている。総連は商工団体と商工人らに共和国との合弁事業の重要性、必要性と合弁法について解説し、その認識を深めるように働きかけた。

 総連の呼びかけに応じ、同胞商工人たちは86年6月に合弁研究会(会長=全演植商工連合会会長)を発足させた。研究会は、共和国との合弁推進を目的とする調査研究事業、合弁事業と関連する対内外の商取引と業務活動支援などを行うことを定めた。研究会は翌年の4月に総連合弁事業推進委員会と改称して活動を展開した。

 商工人たちは各県単位あるいは地域単位、有志などで合弁事業に参加するようになった。合弁の先駆けともいえる、スーツ、ジャンパーなど既製服をつくったモランボン合弁会社(その傘下の東大院被服工場、88年操業)や平壌ピアノ合弁会社(89年操業)、国際化学合弁会社(91年操業)などが事業を始めた。91年4月には金日成主席と金正日総書記を迎えて平壌で「総連合弁製品展示会」も開催されるに至った。86年から10年間に、合弁会社41社、合作会社35社、総契約金額は1億4816万ドルになった。合弁事業は共和国の科学技術と対外的信用を高め、外貨獲得にも寄与した。

 先の合弁法は94年1月20日に最高人民会議常設会議で修正補充された(全5章、47条)。総連合弁事業推進委員会は2001年8月、在日朝鮮合弁経済交流委員会に改編した。世界情勢が急激に変化する中で合弁事業も新たな模索を続けている。(呉圭祥、朝鮮大学校教授)

[朝鮮新報 2004.2.26]