総連第20回全体大会に向け知ろう総連の歩み(18) |
総連と在日朝鮮人の根気ある活動と国際的な流れの中で1980年代、在日朝鮮人の権利分野において新たな前進が見られた。「経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約(A規約)」「市民的及び政治的権利に関する国際規約(B規約)」と選択議定書からなる国際人権規約が1966年の国連総会で採択、76年に発効した。日本は78年5月に署名し、79年6月に可決批准。9月21日から効力が生じることになった。すでに約60カ国が批准した後の条件付批准であった。これは日本が人権後進国といわれる理由にもなった。 総連は、「国際人権規約」に基づいて在日朝鮮人の諸般の権利が全面的に保障されるよう活動した。79年11月には総連中央が日本政府当局に要請を行っている。翌年4月には長年の懸案であった「住宅金融公庫」「国民金融公庫」からの融資、公営住宅の入居と分譲の権利を獲得するに至った。総連は引き続き各種の社会保障制度の適用を求めて日本当局に強く要請した。 在日朝鮮人の在留資格においても変化があった。82年1月1日から「出入国管理及び難民認定法」により、在日朝鮮人に「特別永住」制度が実施された。これによって、法律126号系統の在日朝鮮人に対しては「別の法律」うんぬんではなく「ここに親、子、孫の在留権は、永住権として一本化することが可能になった」(上田誠吉弁護士)のである。 治安立法といわれる「外国人登録法」の抜本的な改正に向けた運動もいっそう強化された。総連は、常時携帯義務、指紋押捺の廃止、刑罰の科料化を一貫して求めてきた。総連代表(河昌玉社会局長)は82年8月3日、参議院法務委員会での意見陳述も行った。総連は▼「外国人登録法」の根本的是正を要求する在日本朝鮮人中央大会の開催▼ジュネーブの国連人権委員会で日本政府に対して外登法の改正を促すように求めた在日本朝鮮人民主法律家協会の要請活動▼外登法の根本是正を求める「300万人署名運動」(85年3月1日〜4月30日)など多彩な運動を組織し、展開した。それは「人差し指の裁判」や指紋押捺拒否の方法ではなく、大衆運動の形で行われた。こうしたたたかいを経て、92年の外登法改定時には永住者、特別永住者の指紋押捺義務が廃止された。とは言え、同法の「朝鮮人取締法」的本質は変わっていない。(呉圭祥、朝鮮大学校教授) [朝鮮新報 2004.2.24] |