総連第20回全体大会に向け知ろう総連の歩み(17) |
総連で後継者問題が提起されたのは1970年初頭からだといえよう。それはオープンな形ではなく、内々に少しずつ進められた。後に明らかになった事ではあるが、74年2月の朝鮮労働党中央委員会第5期第8回会議で金正日総書記が中央委員会政治委員会委員に選出され、金日成主席の唯一の後継者として指名された。総連専従活動家の間では、その頃から金正日総書記の文献、例えばチュチェの思想と理論、方法を規定した74年2月19日労作の学習などが行われた。 80年10月の朝鮮労働党第6回大会、そして第6期第1回中央委員会で金正日総書記が党中央委員会政治局常務委員、書記、軍事委員会委員に推戴された時から、総連は後継者問題の理解を深めるための活動を本格的に展開した。総連において後継者問題とは、総連と在日同胞が金日成主席の唯一の後継者として金正日総書記を仰ぎ、その指導を在日朝鮮人運動に具現することである。 総連はこの問題を、指示や伝達あるいは一方的な方法ではなく、解説と説得の方法で順々に解いていった。とくに後継者の必要性、後継者のメルクマールなどを説くとともに朝鮮革命と民族の発展との連関の中で理解を深めるようにした。とくに総書記の思想と理論活動、革命と建設における業績そして人民に慕われる品性などを詳しく知らせることに力を注いだ。また、図書「人民の指導者(1)」(83年2月、時代社)、「自主時代の指導者(1)」(84年2月、九月書房)などを出版して業績と人柄を知らしめた。総書記が発表した労作、演説などを原文に基づいて学習するとともに、研究会なども随時行われた。 総書記の誕生40周年を祝賀する在日本朝鮮人中央大会をはじめ大衆的な行事も行われた。そのような過程を踏まえて開かれた総連第13回全体大会(83年6月)では主席と総書記の2人の肖像画が初めて掲げられた。最初の頃は「良くわからない」「世襲ではないか」などの意見もあったが、後継者問題は避けて通れないこと、領袖の生存時に継承することで指導の空白期間がなくてすむなどとして理解を深め、総書記の指導を仰ぐ体制が確固となっていった。87年2月の総書記誕生45周年に際しては、在日本朝鮮文学芸術家同盟と日朝文化交流協会の協賛で「2月の芸術の夕べ」が催された。総連運動の根幹にかかわる後継者問題はこのようにして解決されていった。(呉圭祥、朝鮮大学校教授) [朝鮮新報 2004.2.21] |