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総連第20回全体大会に向け知ろう総連の歩み(16)

 総連は祖国の自主的平和統一運動を間断なく進めた。1972年7月4日に南北共同声明が発表された。総連と同胞たちは熱烈に歓迎し実現のために積極的に活動した。7月23日には総連と民団の共催で南北共同声明を支持する東京大田地域同胞たちの集いが開かれた。60年の4.19以来の画期的出来事であった。8月には総連東京都本部と民団東京都本部の共催で8.15祖国解放27周年を記念するとともに南北共同声明を支持する東京全同胞大会も催された。7.4共同声明を支持する機運は全同胞に新たな希望を与えた。

 その後、朴正熙の「6.23特別声明」によってその希望はくじかれたものの、総連は引き続き統一運動において先陣的役割を果たした。「朝鮮での核戦争反対、南朝鮮から米軍撤退要求、祖国の自主的平和統一のための徒歩行進」(大阪―東京)と500万人署名運動(75年7月27日〜8月31日)、「祖国統一促進、全民族大会実現のための在日朝鮮青年学生たちの大阪―東京間行進」(79年6月23日〜7月5日)などはその一例である。総連は78年11月に東京で開催された「朝鮮の統一のための第2回世界会議」を成功させるためにも奔走し、国際的な世論化にも貢献した。また、80年5月の光州事件に際しては、軍事ファッショ集団の虐殺蛮行を糾弾するとともに南朝鮮の人々の民主救国闘争を支持した。

 80年10月の朝鮮労働党第6回大会で金日成主席は、高麗民主連邦共和国創立方案を提示した。この方案は、南北が相手の思想と制度を容認して双方が同等に参加する統一政府を樹立し、そのもとで地域自治制を実施しようとするもので、1民族、1国家、2制度、2政府からなる統一を目指した。これは現実的で合理的な方案として総連と同胞たちに大いに歓迎された。

 総連は、この創立方案を内外に広めるとともに、その実現のために積極的に活動し同方案を支持実現するための在日本朝鮮人大会を各地で開いた。青年たちは「4.19人民蜂起21周年記念全斗煥徒党の軍事ファッショ統治と欺瞞策動を暴露糾弾し高麗民主連邦共和国創立方案を実現するための在日朝鮮青年学生中央大会」とデモ行進(81年4月)を行った。総連は82年にも「南朝鮮からのアメリカ軍撤退と核兵器撤去要求、祖国の自主的平和統一促進徒歩行進(大阪−東京間)」と署名運動(6月25日〜7月27日)などを展開した。(呉圭祥、朝鮮大学校教授)

[朝鮮新報 2004.2.19]