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総連第20回全体大会に向け知ろう総連の歩み(9)

 在日朝鮮人運動における文化、スポーツ活動の重要さはいうまでもないが、1960年代半ばは「百花繚乱」だったといえる。人住む所に歌や踊りがあるように、在日同胞社会でも文化活動が盛んである。とくに総連結成(55年5月25日)以後、民族的主体性が高まったことで健全かつ民族的な文化活動が繰り広げられた。

 すでに公演活動を始めていた在日朝鮮中央芸術団(55年6月結成)は64年から民族楽器や歌と踊りを中心にした演目に改編された。民族楽器や教則本などは祖国の支援を受けた。

 青年同盟を中心に各県本部ごとに活動していた「文宣隊」をベースに、地方別の歌舞団を作ることになった。歌舞団は少人数という利点を生かし同胞の求めに応じて歌や踊り、漫才などで同胞たちの生活に潤いを与えた。65年3月の東京歌舞団の結成(金黄英初代団長)を皮切りに愛知、大阪、京都などで次々と団が創られた。今や歌舞団は、送年会、新年会、結婚式など同胞の会合や行事などに欠かせない存在となっている。また大衆の間で芸術を広める先導者的な役割も果たしている。

 現在はグループ的な活動にとどまっている在日朝鮮人演劇団(崔煥周初代団長)も65年1月に創られた。「在日朝鮮演劇運動日誌U」(文芸同発行)によると、9年11カ月の活動期間に22の作品を発表。公演回数は634回にのぼり、30万3300人が観覧したという。

 スポーツ分野でも在日朝鮮蹴球団が61年8月に結成(李栄吉非常設団長、64年4月から成文慶常設団長)された。日本のサッカー界まで含めて先駆者的な役割を担った。

 65年6月には京都で「総連の文化事業をより発展させるための京都府朝鮮人大会」(韓徳銖議長が報告)が開催された。総連結成以後の文化活動を総括し、それを大衆レベルで発展させる契機となる大会だった。

 60年代、同胞ばかりでなく多くの日本人にも感銘を与えたのがマスゲームと大音楽舞踊叙事詩の公演だ。総連結成10周年を記念して、関東地方の朝鮮初中高級学校と朝鮮大学校の学生8000人が参加した「祖国に捧げる歌」が駒沢競技場で披露(65年5月)された。中等教育実施20周年を記念した大音楽舞踊叙事詩「祖国の懐の下に」(66年12月)も東京体育館で上演された。これらは民族教育と文化活動の成果の集大成とも言えよう。同胞たちに親しまれている故韓徳銖議長作詞による「われらの誇り限りない」も総連結成10周年に際して創られたものだ。(呉圭祥、朝鮮大学校教授)

[朝鮮新報 2004.2.2]