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総連第20回全体大会に向け知ろう総連の歩み(5)

 総連運動発展の原動力である同胞大衆運動の一つに、「模範分会創造運動」がある。この運動は、路線の転換、朝鮮大学校の創設、商工連合会の総連加盟、帰国の実現など在日朝鮮人運動が一大高揚期に差し掛かった1961年1月ごろから始まった。1日に千里を駆ける伝説の馬「千里馬」にたとえた「千里馬運動」「千里馬作業班運動」をすすめる共和国の人々に鼓舞された在日同胞たちが自ら起こした大衆的な革新運動、前進運動であった。

 運動の端緒は、総連東京・足立支部江北分会、大阪・西成支部出城第1分会など一部の総連分会が「千里馬運動」を参考に、「抗日パルチザンの高邁な精神に学び生活し活動しよう」のスローガンを掲げて始めたことだった。

 総連は第6回全体大会(61年5月)で、各地で自発的に起こったこの運動を「模範分会創造運動」として推進することを方針として決定した。第1回総連分会熱誠者大会(韓徳銖議長報告、61年10月)を契機に広がった。

 大会では模範分会創造運動の活動状況と経験が総括され、運動経験を広めるために「模範分会」称号を授与する基準と課題などを明らかにした。そして、初の模範分会称号が神奈川県小野分会、大阪府左官分会、長野県大新田分会、東京都江北分会、東京都馬込分会、大阪府出城第1分会、青森県弘前分会、愛知県汐止分会、山口県桑之内分会、大阪府西九条分会、兵庫県東出町分会、福岡県中原分会の12分会に授与された。

 当時の模範分会称号の基準を羅列してみる。@分会に事務所があり3人以上の分会委員と5人以上の熱誠者がいるA分会管下同胞の70%以上を会員に網羅B全児童の50%がウリ学校に入学C「民主宣伝室」があり、朝鮮新報の読者が世帯数3.5戸に対し1戸以上あるD随時提起される課題が集団的に実践され、同胞の道徳的品性がよく日常的な相互扶助があること(一部省略)−などであった。隔世の感がする。

 模範分会創造運動は1回大会後に急速に波及していった。青年同盟の班、女性同盟の分会、さらに教育会、信用組合など総連のすべての傘下団体、事業体を網羅した文字通り大規模な同胞大衆運動として展開された。この運動を通して同胞の中では、「祖国に向かって学ぼう」「本名を名乗ろう」「ウリマルを学ぼう」「チマ・チョゴリを着用しよう」などと、植民地時代の残滓を捨て去り、民族的な主体を確立する気運が一気に盛り上がった。(呉圭祥、朝鮮大学校教授)

[朝鮮新報 2004.1.23]