総連第20回全体大会に向け知ろう総連の歩み(2) |
総連は1955年5月25日に結成された。解放直後に生まれた朝聯(在日本朝鮮人聯盟)時代の活動経験と、米軍当局による朝聯の強制解散に伴い結成された民戦(在日朝鮮人統一民主戦線)時代の深刻な問題点の克服の過程で誕生した。 とくに民戦の時代、日本の革命に従事しようと事大主義に陥った一部の指導者たちの誤りと策動により、在日朝鮮人運動は主体性を喪失し、存亡の危機にさらされた。 韓徳銖前議長(当時は祖国戦線中央委員)ら当時の愛国的な活動家たちは、運動の実情を金日成主席に報告し指導を仰ぐために手紙を携えた連絡員を派遣した。主席は、朝鮮戦争中の52年12月2日、コンジリにあった最高司令部で連絡員と会見し、在日朝鮮人運動の問題点と改善策を明らかにした。これが後にいう主体的路線転換方針であった。 韓徳銖議長をはじめ李心普A金秉昭、林光徹、李珍珪氏らは、運動転換の理論構築をすすめた。その結果、55年3月11、12日に開かれた民戦中央委員会第19回会議で、韓徳銖祖国戦線中央委員が「在日朝鮮人運動の転換について」と題して演説し、@民戦の運動は根本的に間違いであった、A方法ではなく路線の転換をすべき、B今後の活動は8つの課題(後総連綱領に)に基づき行うことを訴えた。この演説をきっかけに、民戦の解消と総連結成準備が本格化し、当時の東京浅草公会堂で結成大会を迎えた。 総連結成過程の焦点を2点に絞って省みる。第1点は海外における運動ではあっても祖国の指導の下に活動するとの原則が確立された。また在日朝鮮人を共和国政府の周りに結集させるという綱領第1項を堅持し、総連が共和国の海外公民団体である事を明確にした。2点目は日本の内政不干渉を活動原則とし、さらに、祖国と民族のために寄与するとともに、在日同胞が持つ内在的課題を解決することが基本任務であると確認したことである。(呉圭祥、朝鮮大学校教授) [朝鮮新報 2004.1.15] |