〈在日朝鮮青年の日〉 各地で20歳の同胞祝う集い |
12日の「在日朝鮮青年の日」に際し、各地で20歳を迎えた同胞青年たちを祝う集いが行われている。21世紀の同胞社会を担う若者たちは、久しぶりに再会した友人たちと旧交を温めるとともに、これまで育ててくれた両親、そして同胞社会に感謝の思いを捧げていた。(本紙取材班) 同胞社会担う人材に 12日、東京都台東区の浅草ビューホテルで催された「『20歳を迎える東京朝鮮青年たちの集い』2004」(総聯東京都本部主催)には、20歳を迎える青年たちをはじめ両親、関係者ら約300人が参加した。総聯中央の徐萬述議長が共に参席した。 色とりどりの艶やかな民族衣装や、真新しいスーツに身を包んだ若者たちは場内の至るところで写真を撮り合ったり、互いの近況報告や思い出話に花を咲かせていた。 東京朝高卒業後、日本女子体育大学に通う尹美聖さん(荒川支部)は保育士になる夢を抱いている。 「朝鮮幼稚園が近くにないため、日本の幼稚園に通う同胞の子供たちに少しでも朝鮮の生活用語を教えられたら。幼いときから民族の心を宿したい」と話す。 一方、朝青足立支部で活動する慎泰和さんは「同胞社会を担っていく主人公になったことを実感した。これからも仲間をもっと増やして同胞社会のために一緒にがんばっていきたい」と語っていた。 とっておきのチョゴリで 2004年度神奈川同胞青年成人式が10日、ローズホテル横浜で行われ総聯中央の許宗萬責任副議長、54人の20歳を迎えた同胞青年と両親、恩師ら200余人が参加した。 同胞青年たちは日頃の感謝の気持ちを込めたビデオレターや手紙を父母や恩師たちに贈った。 華麗なチマ・チョゴリに身を包んだ辛理愛さんは「今日のポイントはこの赤です。大阪まで買いに行ったんですよ」と、赤いオッコルムを持ってにっこり微笑みながら、「夢は介護士になることです。これからはもっと自覚を持ってがんばらなきゃ」と話した。 一方この日、20歳を迎えた民団青年との交流会も行われ、ともに楽しい時間を共有し大いに盛り上がった。 自分見つめ直す契機に 20歳を迎える埼玉同胞青年を祝う集いが10日、県内の共済会館で行われ、20歳を迎えた同胞青年45人と両親、初中級時代の恩師など160余人が参加し若者たちの前途を祝した。 祝辞を述べた総聯中央の゙令鉉副議長は、君たちが民族の未来であり在日同胞社会の明日を切り開いていく存在だと強調しながら、新成人たちを激励した。 会場では友だちとの再会を喜んだり、恩師らと乾杯する若者たちの姿であふれ終始和やかな雰囲気に包まれた。 朝鮮大学校に通う金亨浩さんは「この日を契機に一から自分を見つめ直したい」と語った。 2部では、映像を通じての新成人の紹介や抽選会、公演などが催された。画面に映し出された新成人たちの幼い頃の写真に、会場からは笑いと拍手がわき起こった。 最後に新成人の代表2人が父母への感謝の気持ちと民族の誇りを胸に生きていく決意を込めた手紙を朗読し、花束を贈呈した。 少しでも1世の力に 大阪生野西同胞青年成人式、新年祝賀会が12日、たかつガーデンで行われた。約150人の同胞たちの歓迎を受けながら、22人の新成人が会場に入場。ひとり一人の紹介があった後、20年間の感謝の気持ちを込めて親に花束を手渡したり、写真撮影や親子ゲームなどで楽しいひと時を過ごした。 今年5月から介護士として「ヘルパーセンターグローバル」で働いている康成大さんは、「生野には1世のハラボジ、ハルモニたちがたくさんいる。同胞社会を築き守ってきた1世のために少しでも力になりたい。今はとても充実しています」と話していた。 若い世代引っ張っていく 「兵庫コリア青年祝賀会2004」が11日、神戸市にある神仙閣で行われ、20歳を迎えた青年らと関係者ら180人が参加した。 この日、成人を迎えた150人の若者たちは、式典と宴会を楽しみながら、久しぶりに会う同級生らと共に写真を撮ったり、懐かしい話に花を咲かせたりして楽しく過ごした。自慢ののどを披露する者も。最後にはベストドレッサー賞の発表なども行われた。 遊技業で働く許晃壽さんは、「在日同胞を取り巻く今の悪い情勢をどうにか打開したい。毎週支部の活動に出ているが、これからももっと活発に活動して、若い世代を引っ張っていきたい」と語った。 朝鮮人として堂々と 04年成人式及び新年祝賀会が10日、和歌山市内のアバローム紀の国で行われた。 20歳を迎えた青年たち7人が登場すると40余人の同胞たちは大きな拍手を送った。成人を代表し蔡水龍さんがあいさつ。「これからも朝鮮人として堂々と生きていきます」と決意を述べた。 朝鮮大学校体育学部2年の司空譲さんは、高校まで日本学校に通い、編入班として朝大に入学。これまでの朝大生活を振り返りながら、「入学当初は辛いことも多かったけど、いろんな事をしっかり学んで卒業したい」と笑顔で語っていた。 [朝鮮新報 2004.1.15] |