若きアーティストたち(12) |
ヒップホップダンサー・金静仙さん 群馬県前橋市在住の金静仙さん(22)は、群馬朝鮮初中に通う初級部1年の頃から朝鮮舞踊に親しんだ。「踊りが大好き。踊っているときは、人見知りで引っ込み思案な自分の殻を打ち破れる」。 卒業後も「踊りたい」という強い思いは変わらなかった。地元に朝鮮舞踊研究所がなかったため、ジャズ・ダンス・スタジオに通ったことも。「でも、しっくりこなかった」。その後、雑誌や本を見ながら、ヒップホップ・ダンスに興味を持つ。「朝鮮舞踊とはまったく違って、最初はずいぶん戸惑った」。でも、「何となく自分に合ってるかな?」と思えたという。 1970年代にニューヨークのスラム街で流行したヒップホップには、抑圧された若者たちの「跳ねっ返し精神」が込められている。ヒップホップの生まれた地は、貧しい人たちであふれ、治安も悪く、希望もない場所だった。若者たちがフラストレーションをためる中、ヒップホップはお金のかからない娯楽として彼らを夢中にした。それは単なる娯楽ではなく、表現の場を与えるものとして定着していく。ダンス、グラフィティ、ラップを通して、彼らは自己を表現した。やがてその中からヒーローが生まれ、社会からまともに評価されなかった彼らが、ヒップホップにおいては人から尊敬されるようになった。そして自分に誇りを持ち、人生に対してもポジティプな考え方をするようになった…。 80年代生まれの金さんは、「在日」とはいえ、露骨な民族差別や貧困を直接体験してはいない。祖父母とも離れて暮したので、間近で「在日の歴史」に触れる機会もなかったという。でも、彼女の中には潜在的な「何か」が渦巻いている。「難しいことはよくわからないけど、体の底からふつふつと湧き出るようなパワーを感じるんです」。 その昔、貧しさゆえに鍋や酒瓶をたたいて歌い踊ってエネルギーを発散させた朝鮮人。その姿には、ドラム缶や壁をたたいてリズムを生み出したスラムの黒人たちの魂が重なりあって見えるのだ。 金さんは「枠にはまった絵画ではなく、地べたや壁に思いのままを自由に表現する、そんなアーティストに憧れる」と話す。そして、ヒップホップ・ダンサーとしてありのままの自分をさらけ出し、在日3世という他にはないオリジナリティを売りにして「カッコ良さ」を追求する。 「私には朝鮮舞踊をやっていたという強みがある。いずれはヒップホップに朝鮮舞踊の要素を取り入れて、他人には真似のできない作品を手がけてみたい」。こうした彼女の姿勢は、地元誌「パディッシュ」にも取り上げられた。今は、ダンサーとして舞台に立つ一方、スタジオで週9本のレッスンを受け持っている。「自分次第で可能性はどんどん広がると思う。何にでもチャレンジして、新しいものを創って行きたい」。(金潤順記者) [朝鮮新報 2003.4.2] |