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京都で歴史学者上田正昭さんの喜寿と単著発刊50冊到達祝う

 上田正昭京都大名誉教授の喜寿記念と単著発刊50冊到達祝賀会が14日、京都市東山区のウェスティン都ホテルで開かれ、日本各界を代表する幅広い人々約400人が駆けつけ、祝った。また、金成洛総聯京都府本部委員長、魚秀玉副委員長、琴基都国際部長らも参加した。

 上田さんは今月喜寿を迎えたのに加え、今月発刊の「日本文化の基層研究」で単著50冊となり、祝いの会がもたれた。

 発起人の河合隼雄文化庁長官があいさつに立ち、「上田先生は誠実で、しかも堅パンでなく柔軟。その柔軟さから今日は右も左も神も仏も祝いに集まっている」と会場を沸かした。上田さんは、14日が赤穂浪士討ち入りの日であることにちなみ、「これから学問の峰に討ち入って勉強しろということだろう。これを節目に今後も微力を尽くしたい」と謝意を表した。

 上田さんは1昨年12月、平成天皇の桓武天皇と朝鮮との深い結びつきをめぐる発言について月刊現代に寄稿したことがある。

 それによれば、1965年に出版した「帰化人」の中で、朝鮮と天皇家との深い関わりにふれた時は大変だったと述べ、「『近く天誅を加える』だの、『国賊上田は京大を去れ』だの物騒な手紙がいくつも舞い込み、これらは今も記念にとってあります」とユーモアを込めて振り返った。

 上田さんはこの著書で「帰化人」という呼称には、「朝鮮半島や中国の人に対する差別感があるのではないか」という問いかけを込めた。上田さんは早い時期から「帰化人」という言葉に代わるものとして、「渡来人」という言葉を提唱してきた。現在、日本の歴史学で「渡来人」という言葉が定着したのは、上田さんの功績が大きい。

 鋭い人権感覚から在日朝鮮人や被差別部落の問題に積極的にかかわり、その問題意識から、従来の学統を総合する独自の方法で研究を大成した。古代朝鮮、南島文化、神祇と道教、日本神話、部落史、芸能史にまたがる多大の業績をもつ。

 60年代の頃から、古代日本の歴史と文化の究明は、アジアとりわけ東アジアを軽視しては十分にはたすことができない、と痛感。これまで朝鮮に3回、「韓国」に10数回、中国に20回、沖縄には数え切れないほどの足を運んだ。

 朝鮮を正当に評価したいという一人の歴史学者の気迫と情熱は、50年の時を経て、いささかも輝きを失っていない。

 主な著書に「日本古代国家論究」「日本古代国家成立史の研究」「日本神話」「大王の世紀」など。(粉)

[朝鮮新報 2003.12.24]