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朝・日青年フレンドリーウォークに参加して

 在日本朝鮮青年同盟、日本青年団協議会、日本社会主義青年同盟、ピースボート4団体の共催で「朝・日青年友情プロジェクト」の一環として行われた「朝・日青年フレンドリーウォーク」(10月18〜11月8日)。終了後、1カ月以上が経った。約3週間、朝・日ゆかりの地を巡りながら寝食を共にしてきた朝・日の計16人のキャラバン隊は何を感じ、得たのか。参加者の中から2人の手記を紹介する。

初めて接した生の在日社会

 「日朝青年フレンドリーウォーク」を通じて、私は初めて生の在日朝鮮人社会に接した。

 今までも在日コリアンの友人は何人かいたが、在日朝鮮人社会というものを意識したことはなかった。そこで生きる人々に出会い、生の声を聞いたのは初めてだったが、あらためて気づかされることも多く大変貴重な経験だった。

 旅の過程で多くの人の歓迎を受け、多くの人々の温かい情に触れ、非常に感極まるものがあった。まずお世話になった皆様に感謝の意を捧げたい。

 同時に苦しい面もあった。互いの立場になって考え、自分の中にない価値観を理解し啓蒙していき、同時に相手にはない自分自身の価値観を伝えていくこと。つまり相互啓蒙は知力、体力、洞察力など非常にエネルギーを要する事で、その異なった価値観の相互理解を私自身の旅のテーマに掲げていたからだ。

 そのことを通じて自分の視野を広げ成長したかった。このことがこの旅に参加した動機だ。

 その中で最も私自身の価値観と遠いのが「民族心」であり、最も時間をかけて重点的に理解しようとした所だった。

 この「民族」という価値観を理解できない限り、在日朝鮮人社会、国、民族学校の教育、歴史観など理解できない部分が多々あったと、今振り返ると思う。

 私はフィールドワーク、交流会を通して、戦前、戦後にかけて日本の中でマイノリティーであり続ける朝鮮の方々の抑圧されてきた歴史というものを目の当たりにし、痛感した。この歴史の過程で民族心というものを強く持ち、一致団結していかなければ生きてさえいけない歴史があったと感じている。

 私たち日本人は、この50年この苦しい部分から目をそらしてきたと感じている。そして今回、朝鮮と日本の青年が同じワゴンに乗り、寝食を共にして腹を割って全国で語り合う「フレンドリーウォーク」が催された。こんなことは今までなかった事という。

 私はこの旅を通じて本音で語り合える友人ができた。一緒に旅した在日の若者から、「日本人とここまで本音で自分の事を話したのは初めて」だといってもらい、とてもうれしかった。結局はここだと思う。

 どちらかの価値観を押し付けるのではなくわかりあうことさえできれば、それだけでいい。私たちはこの歴史的な第一歩を大切にして、今回の出来事をきっかけとして、これからの時代を共に生きていくべきだ。互いの価値観を共有していかなければならない、逃げてはならないと感じている。

 共生共存の社会は未来に必ず実現すると、この旅を通して確信している。

 なぜなら私たちは同じ日本という土地に住むものとして風土や価値観など共有する部分の方が圧倒的に多く、触れ合うきっかけはいくらでも持てる事が証明されたのだから。

 一つにならなくたっていいよ。価値観も理念も。
 認め合うことさえできれば。もちろん投げやりじゃなくて。
 一つにならなくたっていいよ。認め合うことができるなら。
 それだけでいい。
 きっとそれだけが僕たちの暗闇をやさしく散らして、光を降らして与えてくれるから。(東日本キャラバン隊、中井優介、大学生)

「プリ」知ることの大切さ実感

 キャラバン隊としての3週間、強制連行跡地を自分の足で訪ね、1世の方から直接話を聞く過程で在日の歴史を体全体で感じ、朝鮮通信使の足跡をたどる過程で本来あるべき朝・日の姿を自分の目で確かめ、日本の友人と本心で向かい合い、ぶつかる過程で自分たちの明るい未来を確信した。

 ひと言で「恨(ハン)」が体に流れ込み、同時に「恨」が解けた不思議な3週間だった。1世の生き様を一人芝居で演じ始めて4年。これほど「魂」のこもった芝居ができたのは初めてだった。

 この旅で一番感じたことは、自分たちのルーツ―「プリ(根)」を知ることが何よりも大事だということ。

 相手を理解するにも、まず自分のルーツを知らないと何も始まらない。

 しかも自分たちの歴史を知らないということは恥ずべきことだ。そして、今自分たちが生きていること自体が当たり前の事ではない。1世によって生かされている、そう思わざるをえない旅だった。

 在日の歴史が風化されないためにも、私は一人芝居を演じ続ける。きっとそれが私の使命に違いない。

 この旅ではたくさんの人との出会いがあった。日本の友人と寝食を共にし、共に汗を流し、たくさんのことを考え話し合った。

 お互いの中にあったわだかまりも、話し合うことによって次第に解けていった。私は正直、今のこの情勢では日本の人たちとわかり合うことは難しいとあきらめていたが、互いが歩み寄ることで徐々に変わってきた。

 その一歩を踏み出すことで道は開けた。民族が違えば言葉や文化も当然違う。大切なのはその違いを認め合うこと、理解することだ。これからはまちがいなく朝・日の時代、互いが手を取り合う時代だ。

 そこで日本と朝鮮を結ぶのが私たち「在日」である。それは「在日」にしかできない。

 風を感じてほしい。私たちには今「逆風」ではなく「追い風」が吹いている。

 そう気付かせてくれたこの旅に、そしてキャラバン隊のみんなに、この旅で出会ったたくさんの人々に感謝している。

 私たちが各地でまいた種が朝・日友好の大輪の花を咲かせると信じている。道は広い。狭めるな。未来は明るい。走り出そう。(西日本キャラバン隊、田琴室、朝青大阪、非専従)

[朝鮮新報 2003.12.15]