関東大震災朝鮮人虐殺関連日弁連調査報告書(6) |
(2)流言飛語の原因となった虚偽事実の伝達―内務省警保局長発の打電 海軍省船橋送信所は、9月3日午前から正午にかけて、各地方長官宛、朝鮮総督府刑務局長宛、山口県知事宛に、内務省警保局長を発信者とする下記の打電を行ったことが記録されている。当時、震災による被害のため首都圏と地方の間の通信手段は大きな打撃を受け、中央政府から地方あての通信は、全て海軍省船橋送信所からなされていた。 @呉鎮副官宛打電 9月3日午前8時15分了解 なお、右の@の打電の記録については、欄外に「此電報を伝騎にもたせやりしは2日の午後と記憶す」と記入されている(資料第1の1「現代史資料6」18頁、及び、資料第1の2「朝鮮人虐殺関連官庁史料」158頁)。当時、都心の中央政府から船橋の送信所への伝令は伝騎による使者を走らせるしかなかったことも併せ考え、内務省警保局長からこれらの打電の指示がなされたのは、9月2日午後より以前のことであったものと判断される。 これらの内務省警保局長発の打電は、いずれも客観的事実に基づくものではないことは、前述のように、当時の警察文書が記載しているところからも明らかである。 当時の警察組織の体制からすれば、かかる打電による情報連絡は各府県の知事ないしは内務部長に到達していたことは十分に考えられる。右伝達により各府県はつぎにみる埼玉県のように各市町村に同様の情報を伝達し、これが自警団を組織する下地となり、また自警団をして虐殺にかりたてる結果をもたらした可能性を否定できないのである。 (3)行政機関による虚偽の事実認識の伝達と自警団の組織 内務省警保局の上記のような命令は、船橋送信所からの打電を待つまでもなく、電報や担当者等による協議によって隣接近県に対して伝達された。そして、内務省警保局長から各地方長官等宛のこのような命令を受けて、各地の地方行政庁は、これを管下の各郡役所、町村に伝達して、「十分周密なる視察」と「厳密なる取締」の対応を取らせた。 この経緯については、大正12年12月15日の衆議院における、永井柳太郎の質疑に、以下のとおり取り上げられている(「官報号外 大正12年12月16日 衆議院議事速記録第5号 国務大臣の演説に対する質疑(前回の続き)」104頁、資料第1の1「現代史資料6」477頁以下、及び、資料第1の2「朝鮮人虐殺関連官庁資料」65ないし72頁所収)。「斯う云うような電報が其当時の内務省の最高官から発せられましたので、其命令に接しました所の、各地に於ける地方長官は、又、其命令を管下の郡役所に伝え、管下の郡役所は又、之を管下の町村に伝達することに努めました結果、彼の自警団の組織を見るに至った」 埼玉県については、以下の事実が指摘されている。「埼玉県の地方課長が、9月2日に東京から本省との打合せを終えて、午後の5時頃に帰って来まして、そうしてそれを香坂内務部長に報告をして、其報告に基いて香坂内務部長は、守屋属をして県内の各郡役所へ電話を以て急報し、各郡役所は、其移牒されたるものを、或は文書に依り、或は電話によって、之を各町村に伝えたのであります。」(上記永井柳太郎の質疑「官報号外 大正12年12月16日 衆議院議事速記録第5号 国務大臣の演説に対する質疑(前回の続き)」106頁、資料第1の1「現代史資料6」480頁、及び、資料第1の2「朝鮮人虐殺関連官庁史料」67頁所収) その移牒の内容は、永井柳太郎によれば下記の内容であったという(その経緯については後述する)。 「東京における震火災に乗じ、暴行を為したる不逞鮮人多数が、川口方面より或は本県に入り来るやも知れず、而も此際警察力微弱であるから、各町村当局は在郷軍人分会員、消防手、青年団と一致協力してその警戒に任じ、一朝有事の場合には速に適当の方策を講ずるよう、至急相当の手配相成りたし」 この質疑における事実摘示は甚だ具体的であり、かつ上記電報の内容、性格と整合性を有するので、その指摘する内容は信ぴょう性が高いと評価できる。 [朝鮮新報 2003.11.26] |