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関東大震災朝鮮人虐殺関連日弁連調査報告書(5)

 2 自警団による虐殺に関する国の責任

 自警団による朝鮮人虐殺の事実は、民間人による犯罪行為ではあるが、その背景と原因を精査するならば、国の責任に言及せざるを得ない。

(1)朝鮮人に関する虚偽事実の流布(流言飛語)

 そもそも、朝鮮人が放火、爆弾所持、投てき、井戸への毒物投入等の不逞行為をおこなっているという喧伝は、客観的事実ではない流言飛語であった。少なくとも、各所で多数のそうした行為が行われたり、組織的な行為が行われたという形跡はない。これが流言飛語であったことは、以下のとおり当時の警察文書の記載からも明らかな事実である。

 例えば、警視庁編「大正大震火災誌」(資料第1の1「現代史資料(6)」39頁以下)は、「鮮人暴動の蜚語に至りては、忽ち四方に伝播して流布せらりしは、9月1日午後1時頃なりしものの如く、更に2日より3日に亘りては、最も甚しく、其種類も亦多種多様なり。」(同39頁)と記載し、以下時々刻々の流言飛語の状況と内容を摘示し、その取締状況と朝鮮人保護の状況に至るまで詳細に記録している。これは、鮮人暴動、不逞行為などの言説がおよそ客観的事実にもとづかない流言であったことを直截に物語るものである。

 また、警視庁編「大正大震火災誌抄」(資料第1の1「現代史資料(6)」49頁以下)は、警視庁管内の各警察署における朝鮮人に対する殺害などの犯罪行為を詳細に記録した史料であるが、この記録においても、「鮮人暴動の流言熾に行はれ」「鮮人暴挙の流言行はるるや」「流言蜚語の初めて管内に伝播せらるるや」(同49頁)等と記載されており、一貫してこれらが流言に過ぎなかったことを明らかにしている。

 後述のとおり、海軍省船橋送信所から打電された内務省警保局長発の打電は流言飛語の大きな原因になったのであるが、船橋送信所は、当時それだけではなく、遭難信号や応援依頼の送信を繰り返して、「鮮人暴動」「来襲」等の打電を連送したことによって流言飛語の各地への拡大、伝播に大きく寄与したことがあきらかになっている。そして、この一連の打電の顛末を報告する軍関係文書、東京海軍無線電信所長の大正12年10月1日付横須賀鎮守府参謀長宛「船橋送信所無線電報に関する件」(資料第1の1「現代史史料(6)」20頁)は、「情勢不明にして騒擾の真相を確かむるを得ず避難者より或は青年団より誇大な情報」と記載し、「不逞鮮人来襲」が客観的事実に基づくものではなかったことを認めている。同様に、この船橋送信所の所長である大森大尉自身の報告書「送信所にて採りたる処置並びに状況」(資料第1の1「現代史資料(6)」23頁)は、「警備に関しては送受両所間の聯絡杜絶せしため種々の錯誤を生じ遺憾の点多かりしも…終始不安に堪へざりし為如斯失態を演じ…結果より見れば徒に宣伝に乗りたる事となり慙愧に不堪」と、これらの打電の内容は客観的事実に基づくものではなかったこと、それにもかかわらず流言に乗ってしまったものであることを率直に述べている。

 内閣総理大臣山本権兵衛の残した「戒厳令に関する研究」と題する文書(資料第1の3「政府戒厳令関係史料T巻」578頁)以下では、朝鮮人に関する流言事例を具体的にとりあげて検討し、それを事実に反することとして否定している。

 たとえば、次の例があげられている。
 ○9月2日午後3時ころ自警団員が駒込警察署に同行した爆弾毒薬所持をしている朝鮮人がもっていたものは、砂糖であった。
 ○9月2日午後9時ころ、土木作業員18名を貨物自動車に乗せ、進行中自警団7、80名は朝鮮人の襲来とあやまって朝鮮人を車からひきおろして暴行して、多数の負傷者を出した。

 以上、朝鮮人が放火、爆弾所持・投てき、井戸への毒物投入等の不逞行為をおこなっているという事実はなかった。それにもかかわらず、次に述べるとおり、内務省警保局および船橋送信所は、虚偽の事実認識を広範に伝播した。

[朝鮮新報 2003.11.17]