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東京朝鮮第2初級学校の土地「不法占有」は事実無根

1964年2月に立てられた校舎。その土地は前年63年12月に都から購入し、64年9月には登記されている。

 産経新聞など一部報道機関に10月7日、東京朝鮮学園が都有地を東京朝鮮第2初級学校(東京都江東区枝川)の校舎やグラウンドとして「不法占有」していると報じたが、これは事実無根だ。校舎の土地はすでに1963年12月、校舎の建替えに際して同学園が都から払い下げにを受け購入し、翌年9月に登記している。グラウンドについては、学校が建てられた歴史的経緯を踏まえて低額賃貸(55年〜70年)、契約に基づき無償使用(〜90年)し、2001年から今年7月までは都と同学園間で払い下げに関する交渉が行われ、引き続き協議を重ねていくことも確認していた。しかし、住民監査請求を受けたのを機に都は態度を一変。都監査委員が10月6日、「不法占有」の解消と都が被った損害を補てんするよう知事に勧告した。都との交渉に直接あたった同校教育会の方世杰会長は「校舎の土地の『不法占有』というのは事実無根。グラウンドについては7月24日まで交渉が継続され、引き続き協議することも確認していたのに、なぜ急に」と首をかしげる。

他の監査請求は棄却

 今回、都が態度を一変したきっかけは、8月12日付および28日付で都に提出された住民監査請求にある。監査請求は6つあり、内容は「都所有地の不法占有」「学校法人所有地の家屋等に対する課税」など。監査対象は都の港湾、建設、財務、主税の各局。うち、勧告が出たのは港湾局が監査対象だった「不法占有に関する請求」のみで、ほかは棄却された。

 勧告の判断理由は、@東京朝鮮学園が都所有地を、貸付契約終了後の90年4月1日以後、契約などがないまま引き続き占有しA都は適正化のため、一定期間交渉を行うなどの努力をしているものの、交渉が少なくとも8年10カ月以上の長期間にわたり中断していることから、財産の管理を違法、不当に行っているものと認める―という2点だ。

 賃借契約についていえば、朝鮮学園は都と72年4月26日付で「土地使用賃借契約書」を締結。20年間の使用期間満了後は「協議し改善」することになっており、期間満了前年の91年には払い下げに関する交渉を開始していた。だが、両者の提示する条件に隔たりがあり、交渉は翌年物別れに。

 しかし、2000年、学校所在地の枝川の住民約220戸(同胞約40%、日本人約60%)と都の間で居住地への払い下げが始まったのを機に、翌年2月、都職員の要請により交渉が再開された。

 同5月16日、港湾局課長と学校側との交渉の席上、同課長は@過去交渉できなかったことに対する謝罪A過去の賃貸関係に対する請求をしないこと―を表明。また同課長は同9月5日の学校訪問後の住民との意見交換の場で@歴史的な経緯を尊重するA住民の払い下げ条件にそった形で払い下げを検討するB公的、また住民にとって大事な場所ということを考慮する―との立場も明らかにした。

 こうした経緯を経て、交渉は今年7月24日まで行われたが、都は担当職員を交代させ、住民監査請求を受理し、監査事務局からの知事に対する勧告に基づいて、土地明け渡しの処置を来年3月末までに取るよう求めてきた。

 同地域の同胞らは、「学校は同胞らの心の拠り所、財産でもある。学校のグラウンドも居住地同様に払い下げるべきだ。都は50年以上もこの問題を野ざらしにしておきながら、今になって過去にさかのぼって清算しろというのは誤った主張。絶対に譲歩できない」と声を高らかに訴えている。

 そもそも同校の設立(46年1月)は、日本の朝鮮植民地支配の結果に起因する。解放(45年8月15日)前、故郷の土地を奪われ、生活の糧を求めて日本に渡ってきた同胞が少なからず東京にもいた。同地域の同胞らは、40年に開催予定だった東京オリンピックおよび万国博覧会場の確保のため41年、会場および関連施設が建てられる予定だった枝川周辺の浜園、塩崎などから強制的に移住させられた。その数1000人以上で、枝川簡易住宅に住まされた。

 当時、枝川は埋め立てられたばかりで整備もされず、近くにはゴミ焼却場があり、悪臭とハエなどに悩まされていた。排水施設も劣悪で、雨が降れば浸水したという。

 都(または東京市)は45年末までの一時期はその住宅を管理していたが、その後は当時の朝連に委託。現在は枝川住宅管理委員会(金成泰委員長=総聯中央江東支部委員長)が受け継ぎ、居住地払い下げ事業にも携わり円満に解決した。その間、都は住宅の補修などにはいっさい関与してこなかった。なお居住地の払い下げは法的に処理されているため、今回の問題の影響を受けることはない。

 都の一連の要求について同校の宋賢進校長は、「勧告が、都知事が総聯の各機関に固定資産税を課税するとしてきた時と同時に出された背景には政治的な意図があるのではないか。都は本校の存在、歴史的経緯を踏まえ、従来の姿勢で交渉に応じるべきだ」と強調している。(羅基哲記者)

[朝鮮新報 2003.10.25]