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鄭敬謨氏の日本外国人特派員協会での講演を聞いて

 鄭敬謨大人への敬愛の念は、社民党の機関誌社会新報の9月24日号の天下御免欄にすでに書いた。この老碩学80翁に対する小生のあつい思いは、個人誌「粒」に営々と展開されてきた言論の故である。同誌、この7月1日号ですでに41号を数える。

 金子玲さんという篤実な助手に恵まれているとはいえ、個人誌の運営に辛苦しておられるだろうことは、小生も月刊「軍縮問題資料」の編集人として若干の苦労を重ねてきたからさすがに推察できる。ただ先生が直面しておいでのご苦労は、財政や運営の面でさぞ巨大なものがおありだろう。

 わが「軍縮」誌は故宇都宮徳馬議員の創設になり、いまもそのご子息の恭三(ミノファーゲン製薬)社長の手で強固に支えられている。そうした寛仁大度のスポンサーをお持ちではない。ご苦労のほどがしのばれよう、というものだ。

 そのご本人からのお招きで、先日、外国人記者クラブでの先生の英語講演を聴聞してきた。そしていくつかの点でほとほと感心して辞去した。不遜の極みだがあえて感銘を深くした点について書かせていただく。

 第一、80翁でもはや英語にそう接してはいられないであろうのに、その暢達な英語講演に打たれた。お若い日々に合衆国南部の名門、カーター大統領ゆかりのエモリー大学に学ばれたとはいえ、その後、長く日本にお住まいのこととて、英語力を保ち続けなさるのは、容易ではない。現に小生も10数年を英語世界で過ごし、NHKテレビその他で英語対談番組を重ねてきた身が、齢73歳にして人前で英語を話すのがおっくうのかぎりなのである。老耄の思いがしきりなのだ。ましてや鄭先生は7歳も年長であられる。

 しかもその英語たるや、措辞といい演述のみごとさといい、正調の風格を十二分に保ちつつ、ときとしてヒューマーが混ざり合う。人間の哀歓を十二分に心得た人士のみがもつヒューマー感覚で、かつてニューヨークはコロンビア大学で接する折のあった鈴木大拙博士の講義の立派さを思いおこしていた。大拙翁も優に80の坂を越えておられたが、文語も口語も同様によくされるので、及び難きを歎じたものだ。その同じ趣きを覚えたことだった。

 鄭先生が中近東考古学や聖書キリスト教史に通じておられることは「粒」誌でつとに存じ上げていた。新旧の両聖書も読みこなしておいでだ。

 現近代史にも通暁しておられること、そして外交史などもお手のものであられることには改めて一驚した。

 朝鮮半島での停戦50周年を記念する講演者にはうってつけかつ必須の資格だが、先生はその要件を十二分に充たしておられた。そしてブルース・カミング教授の「朝鮮戦争の起源」を引くほか、ジョージ・ケナン構想を詳説されたときは、ハッと胸を突かれた。

 というのは小生、ケナン氏とは国際文化会館の故松本重治理事長を通じて数回にわたり面晤の折があり、そのソビエト封じ込め政策についていくつか物を書かせてもらっている。松本先生への聞き書き、「昭和史への一証言」にもかなり詳しい記述がある。

 原語のcontainmentはむしろ「目張り」程度に訳すのがケナン氏の本意を伝えるのでは、という卑見に立ち「封じ込め」というのは積極的かつ強圧的にすぎるのではという小論を展開したのだった。

 鄭先生によれば、いわゆる「ケナン構想」なるものは、1949年9月、朝鮮問題について作製した国務省への政策提言で、日本人の影響力とその活動範囲が再び朝鮮半島と旧満州に及んでいく事態は、ソ連の勢力拡大を防ぐためには不可避、という内容だった。

 綴めていえば、アメリカはかつての朝鮮総督府と旧「満州国」とを復活させその統治をほかならぬ岸信介に委ね、いまのイラク占領におけるブレーマーと同じような役目を演じさせる。これがケナン構想の中味だった、というわけだ。

 このケナン構想なるものが本当であったとして、それが実現した暁には、かの悪名高き桂タフト密約(1905年7月)の延長線上にあったとは鄭先生の説である。

 この密約、ポーツマス条約を2ヵ月後に控え東京に赴いたタフト陸軍長官が桂太郎首相と結んだもので、アメリカが手に入れたフィリピンに日本が介入しないのなら、朝鮮における日本の支配権をアメリカが認める、という内容だった。

 伊藤博文がソウルに乗り込み、韓国の高宗皇帝を恫喝、朝鮮から外交権を奪い、韓国併合が行われたのはその5年後の1910年のことである。

 ただこの構想が何ともやり切れないのは、ほかならぬA級戦犯の岸信介を再起用させようと画策した点であり、さらに勘弁してほしいのは、昭和の妖怪、岸信介を外祖父とする安倍なにがしがいまや自民党幹事長という要職にのし上がったことで、彼が対北朝鮮の超強硬派で平壌宣言のぶちこわしに狂奔したことは天下周知の事実である。

 小生、同じ山口県人だが、あの妖怪のDNAをもっとも濃厚に継ぐご仁が一般国民の人気を博していることに見られる、日本人の歴史感覚の希薄さに「石は流れて木の葉は沈む」という焦燥感を、鄭先生とともに共有する。「止んぬるかな」という嘆きを均しくするまっとうな同胞が少しでも増えてくれることを願わずにはおれない。

 鄭大人がかの荒野に呼ばわったバプテスマのヨハネに自らをなぞらえて講演を閉じられたのを、小生、多大の畏れおののきとともに伺ったことだった。日朝韓に相わたる真の愛国者たる大人の、末長いご健勝と、さらに活発なご健筆とを熱祈するばかりである。(國弘正雄、英国エジンバラ大学特任客員教授)

[朝鮮新報 2003.10.15]