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朝鮮戦争停戦協定50周年を記念して日本外国人特派員協会で鄭敬謨氏が記念講演

 朝鮮戦争停戦協定50周年を記念して、評論家の鄭敬謨氏が日本外国人特派員協会で7月31日に行った講演の抄訳はつぎの通り。

 時が過ぎ去るのは早い。私は以前、ワシントンポストのドン・オバードーファー氏やニューヨークタイムスのハロラン氏らと朝鮮問題について話し合うために、頻繁にここを訪れたものだった。今から30年前、1973年8月のある暑い日、金大中氏が突然KCIA(「韓国中央情報部」)によって拉致されたときもそうだった。

 彼らとの話題は必ず金大中拉致事件と朝鮮戦争についてであった。なぜかというと、金大中氏の身に生じた悲劇的な事件は、朝鮮戦争と関連する流れのなかで起こったものだったからである。朝鮮戦争の停戦協定は、金大中氏の拉致のわずか20年前に署名された。戦争の記憶はまだ鮮明であった。

 今日ここに招かれ私は、50年前の朝鮮戦争の停戦協定、そしてまた停戦との関連のなかでの東アジアの現情勢について話すことになった。

 私はここで、どのようにしてあの悲劇的な戦争が起こったのか、いかにしてこのもろい停戦協定が崩壊し、朝鮮戦争よりもさらに恐ろしい悲劇を引き起こしうるのかについて、みなさんにより明確に理解してもらうための1つのイメージを提示したいと思う。

 したがって私は、今日の話に関係する4つのテーマを選び、これについて簡潔に述べようと思う。

 1. ブッシュはイラクの人々の自由のために闘ったのか?
 2. ブッシュが「悪の枢軸」を構成するメンバーの数を表すために選んだ、3という数字の聖書における重要性について
 3. 知られてはいない、朝鮮戦争の真の原因
 4. 朝鮮人民に対する筆舌に尽くしがたい苦しみを生み出した、60年前の1943年に掛け違えた最初のボタン

イラク攻撃の裏の真実

 1番目の話題について言うならば、ブッシュ大統領は5月1日、空母「エイブラハムリンカーン」の艦上でこう宣言した。

 「捕らわれの身であった人々をその枷から解き放ち、闇に住む人をその牢獄から救い出した。イラクは今自由になった」

 この言葉と聖書のイザヤ書第42章を比べてみると−。

 「主である私は、恵みをもってあなたを呼びあなたの手を取った。…見ることのできない目を開き、捕らわれ人をその枷から、闇に住む人をその牢獄から救い出すために」(イザヤ書第42章6−7節)

 イザヤ書はバビロン捕囚時のユダヤ人たちによって書かれた。紀元前586年、エルサレムを破壊し人々を捕虜にしたのは、バビロニア国王ネブカドネザルであった。

 サダム・フセインが好んで自らをネブカドネザル王になぞらえていたことはよく知られている。

 これで、ブッシュ大統領が「エイブラハムリンカーン」で行った宣言の真の意味を理解するのに、想像力をあまり働かせる必要はない。ブッシュ大統領が関心を持つのは、イラク人民の自由などではない。彼が大切にするのはイスラエルの安全である。ポール・ウォルフォウィッツ国防副長官やリチャード・パール国防政策委委員などの名前を想起すれば、より説得力を持つであろう。ブッシュは信心の深い人物として知られている。彼には世界を善と悪の2項対立で見ようとする傾向がある。そして言うまでもなく、彼は神が常に自らの側にいることを当然のように思っている。

 バグダッドにあるサダム・フセインの銅像が倒された時、ブッシュはこう喜びの声をあげたという。「これはブッシュドクトリンではなく、アメリカンドクトリンでもない。これは、人々はどこにいようとも自由を求めるという、神から与えられたドクトリンだ」

 このようなブッシュの声明は、不吉であり不安である。彼は明らかに自分は神の代理人だと信じている。

 最も強大な軍事力が現在、自らを神の代理人だと信じる人間の指揮下にある。この状況は非常に恐ろしくおぞましいものである。私はその神の代理人が今確かに存在していると思っているし、彼が動員できる巨大な破壊力はまさに全人類にとっての脅威である。

ブッシュの歪んだキリスト教信仰

 2つ目のテーマについてだが、聖書の黙示録にある言葉を見てみよう。

 黙示録はイエスキリストの12使徒の1人である聖ヨハネによって書かれたと言われている。この書はハルマゲドンでの善と悪の最後の激戦が描かれている。第16章は悪魔の邪悪な霊とたたかう7人の天使を描いている。

 「第4天使が、その鉢を太陽に傾けると、多くの邪悪な人間どもが炎熱に焼かれて死んだ。…第6天使が、その鉢をユーフラテス川に注ぐと、川は渇き、日の出る方角から来る王たちの道ができた。また、竜の口から、獣の口から、そして偽預言者の口から、蛙のような汚れた3つの悪霊が現れた」(ヨハネの黙示禄16章8−14節)

 サダム・フセインは、少なくともブッシュにとっては、ユーフラテス川から現れ出た3つの悪霊の1つであったことは明らかだ。

 ブッシュは自分が第4天使か第6天使だと思い込んでおり、北朝鮮をはじめ3つの国を「悪の枢軸」と呼んだが、この「3」という数字は黙示録に明記されている。

 ブッシュが昨年の一般教書の中で3ヵ国を「悪の枢軸」と名指した時、イランのラフサンジャニ大統領(当時)は怒りに満ちた語調で、「ブッシュは恐竜のような図体にスズメほどの脳みそしかない」と痛烈に言い返した。1国の国民によって選ばれた指導者は、その国民自身より良くも悪くもない(国民はその程度にふさわしい指導者を持つ)ということがしばしば言われ、そして証明されている。

 私は米国民の過去の業績と現在の潜在的な力に対して感服し賞賛している。それゆえに私は、人民の質と指導者の知的能力の間のバランスが、次回の選挙の後には修復されるであろうことを望む。

 もしも来るべき選挙がいやしくも行われるとしたら−、という仮定の話だが。

 イラク戦争が行き詰まり、経済がうまくいかなくなり、外交的な失敗が米国の威信を傷つけている状態で、ブッシュはたとえ選挙運動のための莫大な資金を集めることに成功したとしても、選挙に勝利することは難しくなるであろう。

 エイブラハム・リンカーンでさえ南北戦争のために1864年の選挙を延期することを考えていたことを、歴史はわれわれに教えてくれる。しかしブッシュが選挙に勝利する方法が1つある。

 朝鮮に火をつけ、大量殺りくの戦場に変えるならば、彼は選挙を闘わずに済むことができるかもしれない。そしてホワイトハウスにもう4年長く居続けることになろう。私は大いに不安になる。

 われわれが皆知っているように、長く続いた朝米間の争いはクリントン政権末期、平和的解決の1歩手前まで近づいていた。

 クリントンは、決してハト派ではないが、オルブライト国務長官を平壌に派遣し、また金正日国防委員長が派遣した趙明録特使をホワイトハウスに迎えた。クリントンはあの悲劇的な戦争に終止符を打つために平壌を訪問する間際までいった。

 北も南もすべての朝鮮人は安堵し、そして大きな期待をかけそのニュースを喜んだ。しかしそれは実現しなかった。

 ブッシュが権力の座に就くと同時に、彼は自身の全ての政策を「ABC」(Anything But Clinton クリントン以外なら何でも)の原則に基づいて立てた。

 私は、ブッシュのクリントンに対する敵意は彼の根深い劣等感から生じていると確信している。彼は充分な資質を持つ大統領としてホワイトハウスに入ったわけではない。彼は単なる1人の住人として、そこに入ったのだ。彼はペテン師である。あなたがたはそれをよく知っているし、私もわかっている。世界中の理性的な人々も、そのことを理解している。私は今パリのフランス議会において演説できないのが残念でならない。私がもしその場にいたら、今私が言ったことはスタンディング・オベーションで受け入れられただろうと思う。

 北朝鮮を取り巻く現在の核危機はブッシュの創作物、キリスト教的ブッシュの歪な信仰の結果であると思っている。

 現在のこの危機は人間によって解決できないものではない。ペリー氏はかつて、北朝鮮の人々は非理性的な人間ではない、と述べた。彼が以前、北朝鮮の人々を非理性的だと考えた唯一の理由は、彼が彼らの論法の根拠と基礎を理解できなかったからである。

ケナン構想と日本の野望

 3番目のテーマに移ろう。

 世間一般の通念では、朝鮮戦争は金日成が第一発を撃ったから引き起こされたといわれている。心の中に少しでも「不信のトマス」(証拠なしには信じない、疑い深い人―キリストの12使徒の1人)を持っている人は誰でも、この仮定はあまりにも単純化されすぎていて額面どおりに受け取ることはできないと知っている。

 われわれコリアンはまた、アメリカ人が朝鮮戦争は南朝鮮の人々の自由を守るために国連によって行われた警察行動であったというのを耳にしてきた。

 このばかげたごまかしは、何十年もの間疑問を呈されることなく生き続けてきた。真の原因はアメリカ人が主張してきたことではない。

 朝鮮戦争の本当の原因を知るためには、ジョージ・ケナンによって書かれたこのほとんど知られていない文書について、語らなければならない。ジョージ・ケナンはソ連に対するあの有名な封じ込め政策の立案者としてよく知られている。

 しかし彼が、ソ連の封じ込めという同じ目的のために書かれた、朝鮮に関連する別の文書の作成者だということはあまり知られていない。この文書の中で彼は、朝鮮や満州のような日本の古い植民地が再び取り戻され、復活した帝国日本の支配化に置かれるべきだと提案した。

 より明確に説明するならば、米国務省の政策企画室長であったケナンは、満州国という傀儡国家を再建し、消滅した「朝鮮総督府」を復活させ、それらを日本の支配下におくことを勧めた。

 朝鮮に関するジョージ・ケナンの構想

 「日本人の影響力並びに彼らの活動が再び朝鮮と満州に及んで行くような事態をアメリカが現実的な立場から反対しえなくなる日は、われわれが考えるより早くやってくるでしょう。それはこの地域に対するソビエトの浸透を食い止める手段としては、これ以外にはないからです。……力の均衡をうまく利用するというこのような構想は、何もアメリカの外交政策にとってこと新しいものではありません。現今の国際情勢に鑑み、アメリカが上記のような政策の妥当性を認め、もう一度そのような政策に戻ることは、それが早ければ早いほど望ましいというのは、われわれスタッフの一致した見解であるのです」−ブルース・カミングス「The Origin of the Korean War」(朝鮮戦争の起源)Vol.II P56

 ケナンがトルーマン政権の最上層部にこの勧告を提出した当時の、朝鮮戦争が始まる直前の東アジアの情勢はどうであったのかを思い起こしてみよう。それは東アジアが政治的な意味のみならず軍事的な意味でも激しい変化を経験していた時であった。私は、米国に軍事行動を含む諸手段を講じさせた3つの要因を挙げようと思う。

 1.1948年8月、ソ連が初の原子爆弾の実験を成功させた。
 2.毛沢東は中華人民共和国の建国(1949年10月)をまさに宣言しようとしていた。
 3.朝鮮半島の南半部にはロバーツ将軍指揮下の500人の米軍が残っているだけであった。

 朝鮮で戦争が勃発した時、ヴァン・フリート将軍は意気揚々とこう述べた。

 「これはふさわしい時にふさわしい場所で起きた望み通りの戦争だ」

 この言葉は、米国が朝鮮で戦争を欲していたという説得力のある理由の雄弁な証拠である。私はヴァン・フリート将軍をはじめとする軍の大物たちが、その時きっと感じたであろうことをよく理解できる。

 仮にケナンの構想が実現し、マッカーサーの軍隊が鴨緑江を渡ることに成功していたならば、CPA(Coalition Provisional Authority 連合軍暫定当局)のようなものが満州地方に作られていただろうと思う。そしてその組織の長として、岸信介が任命されていたに違いない。なぜなら彼は、アメリカが今日のイラク占領におけるブレマーのような役割を演じさせようと目論んでいた日本人であったからだ。

 岸信介は、現在の日本政府の副官房長官(現・自民党幹事長)であり強硬な北朝鮮反対派として知られる安部晋三の母方の祖父。

米国はカイロ宣言に戻れ

 最後の話題へ移ろう。

 世界の人々はもしかすると、1953年7月27日に署名された朝鮮戦争停戦協定を記憶にとどめているだろうか。しかし、今からちょうど60年前の1943年12月1日に発表されたカイロ宣言のことを記憶している人は、おそらくそう多くはないであろう。

 1943年12月、ルーズベルト米大統領、チャーチル英首相、そして蒋介石総統がカイロに集まり、カイロ宣言を発表した。カイロ宣言は次のように指摘している。

 「米、英、中3国の首脳は、朝鮮人民の奴隷状態に留意し、適切な時期に(in due course)朝鮮が自由となり独立することを決議した」

 今日、朝鮮は自由で独立しているだろうか? 60年という時は、「適切な時期に」と記述された期間よりはるかに長い時間ではないだろうか。

 米国はこの真剣な誓いを破った。朝鮮人民に自由と独立を与える代わりに、米国は鮮やかな朝の国の国土分断を強いた。これは、魚を欲しがる子供に蛇を与える行為である。(マタイ伝7章)

 朝鮮人の1人として、私は米国のブッシュ大統領に、現在のもろく不安定な停戦協定を乗り越え、「60年前のカイロ宣言の原点に戻れ」と要求する。

 明確に言うならば、彼は停戦協定を正式で永続的な朝米間の平和協定へと転換させるために、最大限の努力をすべきである。

 これが朝鮮人にとって、朝鮮人が北も南もお互いに憎み合い殺しあう必要なく平和に暮らすという、失われた和合を取り戻す出発点となることだろう。(見出しは編集部、原文は英語、訳・李相英記者)

[朝鮮新報 2003.10.7]