〈浮島丸事件58周年〉 総連、民団、日本市民合同で犠牲者追悼し集会 |
朝鮮解放直後の1945年8月24日に起きた「浮島丸事件」の犠牲者を弔う追悼集会が24日、京都府舞鶴市下佐波賀の「浮島丸殉難者追悼の碑」前で営まれ、同胞、日本市民らが犠牲者のめい福を祈った。23日には、南朝鮮光州市の伝統文化研究会「オルス」と光州女子大舞踊学科のメンバーが舞鶴市浜の市総合文化会館で公演した。同日、府朝鮮人強制連行真相調査団の金学福代表と京都在日朝鮮人歴史調査会の柳球采会長が会見し声明を発表、「浮島丸事件問題の公正な解決に努力していきたい。日本が正式に調査報告書を発表するまでたたかっていくつもりだ」(柳会長)などと語った。9月には平壌で同事件と関連したシンポジウムが開かれる予定だ。 「歴史を風化させまい」
「浮島丸殉難者を追悼する会」(野田幹夫会長)が、毎年この日に催している追悼集会。今年は西山とき子参議院議員(共産)、総連京都府本部の金成洛委員長、民団京都府地方本部の金友作団長をはじめ、同胞と日本市民ら400人が参列した。 参列者全員による1分間の黙とうの後、野田会長が追悼の辞を述べ、「夢にまで見た故郷や肉親との再会で喜びにわき返っていた最中に大惨事に遭遇し、生命を奪われた無念はいかばかりだったろう」と犠牲者に思いをはせた。野田会長は、「歴史的背景を持つ事件を風化させまい」と決意を語った。
また、総連京都府三丹支部の金徳春委員長と民団京都府舞鶴支部の金靖一支団長が追悼の辞を述べた。 この日は、光州女子大舞踊学科の朴羨c教授(36)と学生や、光州市の伝統文化研究会「オルス」のメンバーも駆けつけた。昨年、追悼集会に参加したメンバーらが今年はぜひ公演したいと申し出、実現した。「オルス」が奏でる鐘や太鼓、笛の音に合わせ、白装束の朴教授が「サルプリ」と呼ばれる鎮魂の舞を披露した。 朴教授は「参列者の思いを代弁しようと、踊りました。これからもこの問題に取り組まれている方々の助けになりたい」と話していた。 集会では、光州市からやってきた市民らが伝統の衣装を着て献茶。舞鶴朝鮮初中級学校の生徒らが追悼歌「はまなすの花 咲きそめて」を合唱した。最後に、参列者全員で海に花を投げ入れ、犠牲者のめい福を祈った。 容認できぬ「原告敗訴」
一方、23日は「韓国宮廷舞踊と伝統芸能のつどい」が盛況のうちに行われた。 「オルス」と光州女子大舞踊学科のメンバーら計15人が披露した本場のサムルノリと宮廷舞踊に、600人の観客らは惜しみない拍手を送っていた。 公演後には交流会が催され、総連、民団、日本市民らが出演者や追悼集会に参加する光州市民らと友好を深めた。 一方、公演会場で会見した金学福代表と柳球采会長は声明で、「大阪高等裁判所は浮島丸訴訟の控訴審判決で『原告敗訴』を下したが、到底容認できない」「朝鮮総連の調査、研究者に対して、生存者たちは『爆沈前に日本海軍軍人らがボートに乗り、逃げ出したのを目撃した』との状況目撃証言にて立証されている」などの8項目について指摘した。(金明c記者) 浮島丸事件:青森大湊海軍施設部で強制労働を強いられていた朝鮮人徴用工を朝鮮に送還せよという旧日本海軍省の決定により、解放直後の1945年8月24日、3735人の同胞らを乗せた旧海軍の輸送船「浮島丸」が大湊港を出港。寄港した舞鶴湾で突然爆沈した事件。 [朝鮮新報 2003.8.29] |