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「誠信」へのアプローチ−朝・日交渉と拉致問題をめぐって

「『北朝鮮脅威論』テコとした戦時体制作りに警戒を」

 東アジアの女性体験に光を当てることで、民衆受難の深部に迫る研究や幅広い活動を展開する気鋭の近・現代史学者。

 とりわけ、長く封印されてきた「冷戦下」の女性の受難について、国境を超えた真相調査に取り組んでいる。

 「米軍政下の南朝鮮単独選挙に反対し1948年、済州島民衆が武装蜂起した『4.3事件』では、軍隊、警察、反共青年団の討伐作戦で、少なくとも3万人が虐殺された。この事件では武装隊の家族や無関係の女たちも討伐隊の拷問、暴行、虐殺の被害者となった」

 98年に開かれた「済州島4.3事件」国際シンポに出席した藤目さんは、そこで恐るべき母性蹂躙の悲惨な実態を知った。

 「女の被害には、性拷問やレイプといった性暴力、妊産婦と胎児、乳児への虐待、殺傷という残酷さが際だっている。討伐隊員との結婚の強制など心身への深い傷に加え、長い間の社会的冷遇と経済的貧窮、女手一つで子供を育てる中で嘗めた辛酸。女性たちは幾重もの苦難に満ちた人生を強いられたのである」

 藤目さんは、こうした隣国・朝鮮の人々の受難をそこで終わらせず、東アジアの地域や同時代という連関の中で、日本の現代史の奥底の深い闇をとらえ、照射しようとする。「4.3事件は朝鮮戦争へとつながっていく。米国の冷戦政策は朝鮮民衆の自主的統一国家建設の念願を踏み躙り、民族分断を固定化させると共に同時代の東アジア諸地域の運命を暗転させていった。朝鮮戦争時の対米協力を通して日本は米国の世界戦略に固く結びつき、米国との同盟を国家の土台として歩んできた。朝鮮戦争が戦後日本の進路を決定づけた戦争であったにもかかわらず、今日まで戦争の実態が日本国民にほとんど伝えられていない最大の根拠はそこにある」。

 南の市民運動が組織した「米軍虐殺蛮行真相究明委員会」の国際諮問委員でもある藤目さんは編集復刻版「国連軍の犯罪−民衆、女性から見た朝鮮戦争」(不二出版)を世に出して、米軍の戦争犯罪の凄まじい実態を暴いた。

 「日本では90年代から右から左まで『開戦責任』は北朝鮮にあるという説ばかり台頭して、肝心な被害の実態ー『住民大量虐殺、女性への強かん、毒ガス戦』といった、南北民衆の夥しい被害の事実はどこかにかき消されてしまった。これによって、日本国民は『朝鮮民衆の受難』を知らぬまま、国連軍−米軍の正義を疑わず、北朝鮮への不信感や敵意を自然に思い込まされてきたのである」

 朝鮮戦争を背景とした再軍備、日米安保条約締結から約半世紀。新ガイドラインによる安保の強化、北朝鮮脅威論をテコとした戦時体制づくりが、拉致事件によってますます勢いづいている。「拉致問題に国民意識が総動員される危うい状況にある。新聞もテレビも日本の加害の歴史に触れようとしない。私は朝鮮への侵略戦争と拉致事件を横並びに扱うのではなく、歴史の縦軸で見るべきだと考えている。『こっちも国家犯罪、あっちも国家犯罪』と横に並べて軽重を比べるのではなく、歴史的文脈の中で見るべきだと思う」。

 藤目さんは朝鮮戦争後、日米「韓」軍事同盟によって共和国を政治、経済的に封じ込める体制が築かれ、その準戦時体制の中で拉致事件が起こったことを忘れてはならないと語る。

 「冷静に見れば、拉致は日米韓の包囲網の中で共和国がどのように応戦したかという問題だと思う。そもそも、準戦時体制を作り出した原因は日本の側にあるのだ。だから、歴史の縦軸で、今回の日朝交渉を見れば、100年以上におよぶ長年の敵対関係、日本の侵略に起因する不幸な関係をやっと解消することができるかもしれない千載一遇のチャンスだった」

 藤目さんの目には、今の日本の状況は、朝鮮戦争前夜に酷似していると映る。「朝鮮総聯に破防法適用の話まで出てくるのは、本当に恐ろしい。朝鮮戦争の前年に団体等規制令が最初に適用されたのが朝聯。そして、日本の左翼、反戦運動は徹底的に弾圧されていった。絶対にあの悪夢を繰り返してはならない」。

 藤目さんは朝鮮戦争後の分断体制に加担した日本は、真摯な反省に立って、平壌宣言を今こそ実行すべきだとして、「拉致問題解決なくして国交正常化なし」という本末転倒の歪んだ主張を強く非難した。

 大学時代、性拷問被害を世界に告発した権末子さんの勇気と行動力に心を揺り動かされ、過酷な運命を生き延びた女性の受難史に引かれるようになった。

 「かつてハルモニたちに性奴隷を強いた日本の闇は、日本の戦後史像、女性史像も歪めた。それを洗い直していきたい」(大阪外国語大学助教授、藤目ゆきさん)(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2003.7.30]