top_rogo.gif (16396 bytes)

〈関東大震災−朝鮮人虐殺から80年〉 埼玉で写真展「尊」開催

埼玉で行われた写真展

 関東大震災朝鮮人虐殺80周年に際し10〜11日、埼玉大宮ソニックシティ地下展示会場で写真展「尊」(写真で綴る朝鮮と日本の歴史)が開催され、600人を超える同胞と日本市民らが観覧した。同実行委(委員長=廉瀚・埼玉県青商会会長)が企画したもの。「尊」という言葉には、命の尊さ、互いに尊重、民族の尊厳を守り、それを知るという意味が込められている。埼玉県では関東大震災時の1923年9月1日の夕方から2日にかけて、東京からの避難者が「今、上野の山では日本軍と朝鮮人との内乱が起きて、機関銃はなる、爆弾ははねるやで、日本はつぶされる」といった朝鮮人に関する流言を広げ、川口、大宮、桶川、熊谷、県北地方などで虐殺が始まった。その数は322〜400人といわれる。観覧者の感想文の一部を紹介する。

川口、戸田での目撃者の話

 〜市内に住んでいた朝鮮人と荒川水門工事に従事していた朝鮮人、赤羽方面から川口、板橋方面から戸田へ避難してきた者が多数いた。

●川口
・ 荒川に20〜30人の朝鮮人の死体が浮いていた。
・ 27人の朝鮮人が群衆に襲われ、川口警察の警官3人の護衛のもとに貨物自動車2台で県北へ出発。本庄、神保原で虐殺された。
・ 70〜80人の朝鮮人が川口ビール工場のまわりで群衆に襲われるが、町会の役員などに「保護」され、翌日、県北方面へ出発した。
●戸田
・ 戸田橋で朝鮮人が来たと合図があると土手の陰から出て行って切り殺した。
・ 日頃、東京の志村の方からアメ売りに来ていた朝鮮人が殺され、荒川へ投げ込まれた。
・ 当時、70センチ位の青竹が武器として各戸に配られ、朝鮮人を捕まえろと鐘がなった。殺されたのは5〜6人から10人ほど。(展示パネルより)

同胞の感想

 「写真展は植民地の前からたどり、そして解放までの歴史をつづったもので、とても分かりやすかった。とくに震災時、軍だけではなく民間の手によって朝鮮人が殺されたという事実は、大きな意味を持つ。今、拉致問題を『理由』に、在日の生徒への嫌がらせが起きているが、それはまだまだ日本社会に『3国人差別』が根強く残っていることを意味する。日本人との間に真の友好関係が築かれる日を望んでいる」(21歳の女性)

 「日本の過去の罪悪を暴露する貴重な資料だ。日本は朝鮮に対し犯した過去の罪に背を向けているが、絶対に許されることではない」(74歳の男性)

本庄警察における事件

●神保原で難を逃れた朝鮮人が捕まり、車で本庄署へ4日夜8時から9時頃、到着した。手は縛られていた。後から来る車には朝鮮人を満載していた。
●朝鮮人が戻ってきたことを知った群衆が次第に署に集まってきた。日本刀や棍棒 などを持った群衆は暴れ回った。
●車に乗っていた朝鮮人をことごとく虐殺。演武場に収容されていた朝鮮人を発見し、助けを求める者、逃げまわる者など、ことごとく殺していた。
●朝鮮の子どもを並べ、親の見ている前で首をはね、そのあと親たちを貼り付けにしたり、のこぎりで腕をひいたりして惨殺した。
●翌朝、演武場の畳の陰にいて助かった2人の婦人が、朝早くやってきた群衆に見 つかり、たちまち刺し殺された。
●この虐殺事件は、4日の夜から5日の朝方にかけて起きた。
●警察構内での凶行が終わると、群衆はさらに朝鮮人労働者が働いている紡績工場 に血刀をさげて押しかけた。殺気に驚き逃げた朝鮮人は正門の所で殺害された。
※この事件の犠牲者は86人で、署外では15〜16人ほどが虐殺。(展示パネルより)

日本人の感想

 「朝鮮人への差別、虐待は子どもの頃の現実的な体験だった。その頃を思い出し、展示に感謝している」(73歳の男性)

 「私たちに必要なことは、朝鮮を侵略した日本の歴史を見つめ直すことだ。隠された歴史と事実を踏まえ、足元から国際化、日本に住む朝鮮人との共生社会を実現させる必要がある」(66歳の男性)

 「朝鮮人虐殺の話は知っていたが、被害者側からの訴えとして『事実』を突きつけられ、あ然とし、苦しむものがある」(63歳の男性)

 「子どもの頃、父から朝鮮人が井戸に毒を入れ、主婦の格好をして爆薬を投げた、などの話を聞かされ信じ込んだ。(日本)政府が土地を奪い、生きる道を探して海を渡ってきた人たちを残酷にも…。また素朴な日本の一般農民、市民を殺りく者にさせた権力者に本当に腹がたつ。…49年生まれであるが、教育の場で、朝鮮人にやったことについては何も教わらなかった。有事法制などがあるが、マスコミ関係者は自分の恥を知って立ち上がってほしい」(54歳の男性)

 「6600人以上と言われる犠牲に対し、日本は真相も解明せず、謝罪すら行っていない。今の日本社会の情況は23年当時に似ている。このような時こそ過去に学び、二度と同じことが起きないよう考えていく必要がある」(59歳の男性)

 「ぜひたくさんの日本人、とくに若い人が見たらと思う。現在、マスコミから垂れ流されている民族差別を助長するかのような情報の洪水に流されないために」(48歳の男性)

 「ショックだった。あの情況を目のあたりにした朝鮮人と日本人の相互理解は非常に難しいと思う。しかし、若者同士は互いを理解していく必要がある」(21歳の女性)

[朝鮮新報 2003.7.15]