第20回筑豊から日本人と在日韓国人、朝鮮人の歴史を訪ねる会開く |
「第20回 筑豊から日本人と在日韓国人、朝鮮人の歴史を訪ねる会」(「強制連行を考える会」主催)が6月8日に開かれ、会員をはじめ、大阪の教員や地元主婦、大学生らと同胞ら17人が参加した。この日は、福岡県行橋市を出発、田川市まで、古代から近代の強制連行史に至るまでの日本と朝鮮半島との歴史を自らの足で歩いて確かめた。 西日本に200カ所 今年で20回目を迎えた「訪ねる会」は、折しも自民党の麻生太郎議員が、創氏改名は朝鮮の人々が「満州で仕事がしにくかったから、名字をくれと言ったのがそもそもの始まりだ」などとの妄言を吐いた直後に行われた。 出発のあいさつで会の占部哲生事務局長は、「麻生議員こそ地元、筑豊の強制連行先企業の子孫だ。創氏改名はヒトラーすらしなかった悪業だ。今日は筑豊の地から日本と朝鮮の共通の歴史を見つけよう」と呼びかけた。 午前の行程は歴史コースで、最初に行橋市歴史資料館を訪ねた。古墳から発掘された鎧や甲冑などの出土品、装飾品の金メッキ技術が朝鮮半島からもたらされたという説明が具体的になされ、参加者らは熱心に聞き入っていた。 次に「筑豊に学ぶ会」の横川輝雄氏の案内で御所ヶ谷の朝鮮式山城を散策した。山城とは663年の白村江の戦いで大敗した日本が、新羅の侵攻に備えて築いた石垣や土塁の遺構のことだ。築城には百済から渡来した将軍が指導にあたったという。 城はこれまで西日本の200カ所で確認されており、一行は高く積まれた石の城門に登って、京都平野を一望しながら古代の日朝の歴史に思いをはせた。 犠牲者の黙祷も 午後の行程は強制連行コースで、田川方面に向かった。多数の朝鮮人が強制連行された香春町の旧アサノセメント粘土採取跡、明治鉱業赤池炭鉱殉職者鎮魂碑を見学し、犠牲者に黙祷を捧げた。 横川氏からは町史、寺の過去帳などの調査によっても同炭鉱での朝鮮人犠牲者が明らかになったと語られた。 草の根運動が重要 一日のスケジュールを終えた後、感想会が開かれ、参加者らは「初めて知った歴史の事実に驚いた」「古代からの交流、友好関係を断ち切ることなく、一日も早く朝・日の国交が正常化してほしい」などと感想を語り合っていた。 最後に会代表の大野節子さんが、「20年間調査を続けてきたが今日は再度、植民地政策の一端を確認した。遅々とした歩みであるが、今後も地道に会の活動を進めていきたい」と締めくくった。 また参加者らは、「強制連行という事実は知っていたが、こんな身近な場所で行われていたことはまったく知らなかった。大きなショックを受けた」(女子大学生)、「楽しく勉強しながら、考えさせられるフイールドワークだった。世の中が右側になって不安になっているこの時に、草の根の市民運動が根づいていることをうれしく思う」(男性教員)などと、会に感想文を寄せていた。(金静媛山口県朝鮮人強制連行真相調査団事務局長) [朝鮮新報 2003.7.4] |