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〈危うい今日を超える視点〉 愚かな合唱劇に幕を

 ブッシュ氏のアフガンとイラクへの侵略理由はまさに「でっちあげ」だった。つまりブッシュ氏の利権あさりだったことがますます明白になっている。

 彼の視野をいっぱいにしているのは次の大統領選挙である。とくにイラク侵略の目的のひとつが選挙資金稼ぎだったことは、この間のメジャーや兵器産業からブッシュ氏への献金の増加が示している。彼は、最もあさましい方法で、「顧客」をひとまず満足させることに成功したのだった。

 米大統領選挙は来年1月19日のアイオワ州における予備選(党員集会)を皮切りに、11月2日の一般投票で終幕を迎える。が、すでにそれは始まっている。その流れは今秋になるとさらに勢いを増す。さて、同スケジュールを念頭に置いて視点を「朝鮮」へ移すなら、こんな疑問が湧く。ブッシュ氏は新しい戦争を、それが短期間のものであれ、捏造する余力を持っているだろうか。持っていないと思われる。前回の大統領選でトリックめいた形でしか当選できなかったブッシュ氏が米兵の死を横目に選挙戦を進めることができるだろうか。ほぼ不可能だ。おまけに朝鮮戦争に関しては、周知のごとく韓国が抗い、中国とロシアの賛意を得られない。さらにドイツなどが反対し、イギリスのブレアー氏も自身の政権の倒壊を恐れ、極東におけるブッシュ氏の欲望充足戦争への加担には消極的である。つまり、ブッシュ氏は「多数派」を偽装することすらできないのではないか。

 もちろんブッシュ米政権を強く彩っている狂躁的な要素を軽視するわけにはいかない。とともに、もはやUSドル圏内にある中国の揺らぎ≠竓リ米安保条約に依存する韓国の苦渋に充ちた最終選択≠ネどを見落とすわけにはいかない。だが、刃の上を歩む危険な季節を迎えているけれど、総体的に戦争突入の可能性が、ひとまず、やや薄れてきているようにも思えるのだ。

 としたら、いま明確に告発しなければならないのは、手前勝手の危機幻想に溺れ、あまつさえ手前勝手な危機幻想の「合唱」に耽り、要するに殺戮への道を整備して恥じることを知らないマスコミである。たとえば米英の大学教授たちのウェブサイト「イラク・ボディ・カウント」はイラクにおける民間人の被殺戮者数を推計、発表している(7月2日時点6011〜7653人)。彼らは何を元に推計しているのか。世界各地の報道である。

 世界各地の報道。とはいえ、彼らは客観性を維持するため、可能な限り米英のマスコミを除外しているという。こうした作業は、とりわけ米国報道を鵜呑みにしたり、それを得々と脚色して飽きない日本のマスコミの醜状を浮き彫りにしているのだが、あらためて強調したいのは朝鮮半島では「危機」だけが進行しているのではないという、あたりまえと言えばあまりにもあたりまえの事実である。

 たとえば、6月15日に北と南の鉄道の連結式が非武装地帯(DMZ)で行われた。また6月30日には開城で、現代グループと韓国土地公社の開発する工業団地の着工式が開かれた。今秋には離散家族の再会者数を増やす合意ができているという。さらに将来、朝鮮は、たとえば観光特区を、金剛山地域のみならず、そこから元山一帯まで拡大していくようなのだ。これらの事業は必ずしも円滑に進まないかもしれない。いや、より現実に即して言えば紆余曲折を経るに違いない。

 しかし重要なのは、ブッシュ氏の殺戮戦争とはまったく異なる、つまり平和へ向かうシナリオがいくつも用意され既に動いている点である。つまり、ブッシュ氏の指揮棒を見詰め、危機幻想にまみれたあげく加害者が被害者のふりをする愚かな合唱劇にもう幕を降ろさなければならない。(野田峯雄、ジャーナリスト、終わり)

[朝鮮新報 2003.7.3]