殺伐とした8日の新潟−騒ぐ右翼の街宣車、マスコミ |
「会館の周りは警察に取り囲まれ、右翼の街宣車が拡声器で罵詈雑言を浴びせる。電話は朝から鳴りっぱなしで、写真を撮ろうとすれば警察や、マスコミがなだれ込もうとする。『池の中の鯉』のようなものだった」(金鐘海総聯新潟県本部副委員長) 「万景峰92」号の新潟入港が予定されていた8日、中央埠頭や新潟朝鮮会館周辺、そして新潟市内は殺伐とした雰囲気に包まれた。 警察当局は、1500人の機動隊を動員すると共にバスやコンテナを使って6日朝から朝鮮会館周辺を24時間体制で監視、各地の右翼団体も約200台の街宣車を動員し市内全域を回りながら6日から騒ぎ立てた。「県議員の会」「新潟の会」などは「救う会」「拉致議連」などと一緒に街頭で、8日に行われた「緊急集会」への参加を呼びかけるビラ配りを市内の至る所で行い、朝鮮バッシングの雰囲気を煽り立てた。 この状況下、総聯県本部では、職員の安全を守るため家で待機する措置を取った。会館はシャッターを下ろして締めきり、副委員長など数人が対応に当たった。その一方で所轄の新潟東警察署や弁護士らと連絡を取り、会館と職員の安全を守った。 7日には、会館前で騒いでいた5人の右翼が午後6時頃に李主R総聯本部委員長の自宅に押しかけ、「朝鮮総聯解散しろ!」「拉致問題解決しろ!」などと騒ぎ立てた。80歳を越える李委員長の高齢の母は、恐怖のあまり夜も眠れなかったという。右翼たちには私服警官がついていたが、「何かあったら検挙する」の一点張りで、統制することはなかった。 8日、中央埠頭は多くの警官やマスコミでごった返した。「通行証」がなければ自由に往来することもできず、道路はほとんどが封鎖された。街宣車の騒音があまりにもひどいため、朝鮮会館近くの高校では授業を中止せざるをえなかった。 一方、在日朝鮮人の人権を守ろうと同日、デモ行進を行った市民によると、「白眼視する人も数人いたが、ビラの受け取りなどはおおむねよかった。中には手を振りながら応援してくれた人もいた。右翼や『救う会』などが来て罵声を浴びせかけてきたが、ひるむ人は誰もいなかった。また、抗議電話などはその後、一件もかかってきていない」 朝鮮会館には現在も、嫌がらせ電話が頻繁にかかってくるという。「地域同胞の安全のためにも、日本当局に早期の解決を望みたい」(県本部関係者) [朝鮮新報 2003.6.20] |