「誠信」へのアプローチ−朝・日交渉と拉致問題をめぐって− |
「力ではない、人間同士の信頼関係で平和を」 日本の国会で有事法制関連3法が6日成立した。朝鮮半島への出撃を視野にいれた「戦争法」の成立は、アジア諸国民の強い反発と非難を浴びている。「拉致事件」以降、歪んだ情報を通じて北朝鮮憎悪の感情をかきたて、有事法制を成立させた日本政府。米国にひたすら追随し、再び侵略戦争に踏み出そうとする狙いは露骨だ。 写真家・石川文洋さんは今月末に、日本列島を歩いて縦断する旅に出る。最北の北海道宗谷岬から故郷の那覇市までの全長3400キロ、約130日間の独り旅。コースは沿道を撮影しながら、日本海側を辿る。途中仲間たちも合流することに。 石川さんがベトナム戦争を取材したのは26歳の頃。幾多の死線を乗り越えた戦場カメラマンも今年3月10日に65歳になった。「体力の続く限り、カメラマン人生を歩きたい」というメッセージでもある。 旅立ちを前に来月出版予定の文庫「カメラマン人生」(上下巻)や新刊「アフガンロード」(仮題)の本の締切りに追われている。 そんなせわしい石川さんの日常に衝撃を与えたのが、6日の国会での有事関連法成立のニュースである。「かつての日本が引き起こした戦争の悲劇を忘れた結果です」と憤る。「アジアの人々の犠牲と沖縄戦での悲劇をもう忘れて、二度と戦争を起こさないと誓った日本国憲法の精神も踏みにじって、戦争がいつでもできる国を作ろうとしてる。これはどんなことがあっても阻止しなければいけない」と強い口調で語った。 石川さんはベトナム戦争では戦場カメラマンとして、何度も死線をくぐりぬけてきた。1964年8月のトンキン湾事件以降、サイゴン陥落、戦争終結まで、ずっとベトナム戦争を現場で取材した。その後も枯葉剤、不発弾などによる戦争の後遺症の取材を続けている。「ベトナム人も含めると記者、カメラマンの犠牲者は、150人以上に上る。米軍は50万人以上もの大軍をベトナムに送り込み、その結果多数の民衆が死傷した。ベトナム戦争はアメリカの侵略戦争だと思っています」。 石川さんはいかなる理由があろうとも、軍事力に基づいた抑止力には反対だと話す。「軍隊は要らないというのが、私の基本的な考えです。例え、一人になっても、日本の自衛隊という軍隊の存在を否定し続けたい」とキッパリ。 このような平和への信念はどのようにして育まれたものなのか。それは、第2次世界大戦末期の沖縄戦で犠牲となった人々の悲しみやベトナム戦争の後方基地としてフル回転した沖縄の米軍基地、そこで暮らす人々の日常を約40年にわたって追ってきたからである。 58年前の沖縄戦の悲劇。劣勢の旧日本軍は沖縄で10代の少年少女まで戦場に駆り出した。住民を巻き込む凄惨な地上戦。日本軍による住民追い出し、沖縄方言によるスパイ容疑での虐殺、多くの子供が親や親類縁者によって殺された「集団自決」なども起きた。米軍の報告書は「ありったけの地獄を集めた」と沖縄戦を形容した。犠牲者は12万人以上といわれる。 石川さんは、その悲惨な沖縄戦を体験した遺族の消えることない悲しみと死者の果てしない沈黙を追い続けた。 「日本軍の悪夢は今も沖縄の人々の脳裏から消えない。軍隊は平和をもたらさない。今の北朝鮮情勢にしても、米軍の力を借りて、北を軍事力で封じ込めようとしている。こんなことでは東アジアに平和はもたらされないし、この地域の人々を決して幸せにはしない。イラクでもアフガニスタンでも、私たちは米軍の侵攻、爆撃によってもたらされた悲惨な結末を見たではないか。朝鮮半島の人々が同じ悲劇を体験することに、私たちは耐えられるだろうか」 石川さんは過去の戦争の傷も癒えないのに、有事法制を作り、日本を戦争ができる国にしようという政府の狙いは許し難いと語る。「過去の侵略戦争の謝罪も償いも終わっていないのに、また、新しい戦争へ踏み出そうとする愚かさは度し難いものがある」。 石川さんは日本の戦争の実態を、学校でも社会でもきちんと教えていかなければと考えている。そのために、昨年、日本各地で写真展「沖縄・復帰30年−1969年〜2002の記録」を開いた。この世の地獄としかいいようのない光景が繰り広げられた沖縄戦の実相。米軍の出撃基地となり、ベトナムに多大な犠牲者が生じたベトナム戦争での沖縄の役割。写真展では若者たちに戦争の悲惨さを知ってほしいという石川さんの熱い願いが込められていた。 こんど刊行予定の文庫本には「北朝鮮」のページも大きく割かれている。6回訪朝し、人々との温かい触れ合いを持った。 「このところのメディアの影響で、朝鮮は怖い国だと一方的に思っている日本人が多い。ところが、現地で実際見るとそんなことはない。偏見を持たず、自分たちと同じような普通の暮らしがあることを想像することが大切である」と語る。石川さんは戦争になれば、アジアの人が死ぬ。一般の人たちが死ぬ。これが沖縄戦の貴重な教訓だと語る。「力ではない、人間同士の信頼関係によって平和を築く時だ」と訴える。(カメラマン、石川文洋さん)(朴日粉記者) [朝鮮新報 2003.6.11] |