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差別意識煽り戦争に駆り立てる

 2003年に入り、米国のイラク侵略が心配される中で、世界で反戦運動がまき起こっているが、一方日本では、朝鮮民主主義人民共和国に対する憎悪を煽り立てる報道が執拗に繰り返され、「北朝鮮」や「朝鮮人」に対する差別が正当化すらされようとしている。

 青森での冬季アジア大会で、県内の1校が参加国1校を応援するという取り組みの中で、共和国を応援することに決まった学校が、「拉致家族の心情を考えると…」と、共和国応援を取りやめ、全体を応援することになったとの新聞報道があった。また、今まで民族学校には国立大学の受験資格がなかった問題で、日弁連の意見書もあって改善が検討されていたが、アメリカンスクールには認めるが朝鮮学校には認めないという決定がなされようとしているとの新聞報道もあった。

 これは一体何事だろうか。

 日本人の側からこの差別に怒りの声をあげることが必要だし、心ある多くの日本人が、心の中でこの差別状況への怒りの炎を燃やしていることと思われる。

 在日韓国、朝鮮の人々と連帯して、マスコミを牛耳って差別と憎悪を煽る極右勢力に反撃を開始したいものだ。

 毎年軍事境界線間際で20万人もの米韓合同軍事演習を繰り返されている共和国に対して、日米の敵視政策抜きにしてそのあり方を非難するのは「木を見て森を見ないもの」ではないだろうか。

 ヒットラーのドイツも、ヒロヒトの日本も、差別意識を煽ることによって、人々を戦争に駆り立ててきた。昨年10月に一時帰国したはずの拉致被害者たちは、極右勢力にとっては、反北宣伝のなくてはならない材料として、今も共和国に住む家族と引き離されたまま、逆に日本に拉致されている。日本のマスコミの執拗な反北宣伝は、戦争によってより強大な権力と富を得ようとする極右勢力が、その影響力を強める大きな手段になっている。

 関東大震災の時の6000人の朝鮮人虐殺から80年の歳月が流れて、今、一部の日本人は、朝鮮学校への差別をおかしいと感じ、今のマスコミ報道を不自然だと感じている。80年前にも、朝鮮人を殺害することをひどいと憤った日本人はいただろうが、ひどいことをひどいとは言えない世の中だったようだ。

 80年間、日本政府の差別政策は基本的には変わらない。私たち民衆が、草の根で変えてきたものをこれから見せてやりたいものだ。日韓・日朝の民衆の連帯で、戦争をくいとめ、平和な東アジアをつくっていきたい。(田中ひろみ)

[朝鮮新報 2003.3.26]