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在日朝鮮人への診察拒否−申し訳なさと憤り

 「北の人間を診る気になれないね」と言った九州の開業医の一件を知り、これが事実であるならば(おそらく事実でしょう)日本人の一人として、また社会の不条理を糾弾することを心底に置く一人のジャーナリストとして、申し訳なさと憤りを感じています。

 日本のマスコミの北朝鮮報道のスタンスは明らかにバッシング(偏見的攻撃)です。それも社会的視点を失い、国家と国家の問題の本質も知らないままに、ただ刺激的に中傷的に時に意図的に日常の話題レベルという幼稚さでしか報道できないという現状に、ある種の危機を感じます。要するに日本のマスコミには「点=今」だけを取り上げて「事実」だとがなりたてるだけの能力しかなく「線=過去と現在」が示す最も肝心な「事実」を検証する能力は完全に欠落していると断定してもいいでしょう。私は以前から北朝鮮との国家間の問題はほかならぬ日本側の国内問題であって、この問題を長年放置してきたのは日本政府と外務省であること、したがって拉致問題が発生したからといっていきなりその責任を北朝鮮バッシングですり替えようとする日本社会(国家国民)の魂胆は何と無責任で破廉恥であることか、冷静に見れば誰もが理解できることでしょう。

 日本には「在日韓国、朝鮮」という差別的表現でくくられている人々が65万人いる。数日前の文部科学省の国立大学の入学差別問題がそうであるように、戦後58年にもなるというのに、いまだに在日の若者の教育権すら認めないという閉鎖性をどう説明するというのか。日本社会が民主主義国家であるという前提だからこそ、拉致被害者の親族の人々は人権侵害者として国連に訴えに赴いたのである。では在日の人々の教育権を侵害しているのは一体誰かということだ。明白ではないか。

 いま吹き荒れてる北朝鮮バッシング、朝鮮民族に対するいわれなき差別の連続の正体はいったいどこから来るのか。これとてすでに明らかなように、戦前の日本軍国主義(その裏に潜んでいる天皇崇拝主義)が行ったアジア各国への侵略と略奪という侮蔑の歴史的事実と密接に絡んでいると見ている。その象徴的行為が日本国家の手による「従軍慰安婦」と「強制連行」であったし、その加害者は間違いなくわれわれ日本人だった。たとえ戦前の行為とはいえ、こうした国家的規模の犯罪に等しい行為によって犠牲になり被害者となった人々の中に朝鮮の人々が現存しているのも事実である。

 日本は戦前の蛮行を忘れたのだろうか。戦前の謝罪もせず戦後は差別だけを繰り返す日本という国が、今日の拉致問題と相殺でもしているつもりなのであろうか。つまりバッシングの正体は、自国の罪を隠匿ないし糊塗を意図する劣悪な精神そのものといえないだろうか。こうした日本の狡猾で無責任な姿勢が戦後社会の在日の差別化政策につながったことは説明の必要もない。

 補足すると戦後の日本はアメリカに依存した衛星国家であり植民地国家であると認めざるをえない。したがって日本の対北朝鮮政策の核心はアメリカのプレゼンス次第ということになるだろう。しかし日本のリーダーたちはそのアメリカが自らの国民を愚民化しているなどとは夢にも思っていないだろう。(名古屋在住ジャーナリスト、成田俊一)

[朝鮮新報 2003.3.19]