「誠信」へのアプローチ−朝・日交渉と拉致問題をめぐって− |
「出口求めて蠢くネオナショナリストたち」 拉致事件後、メディアが作り上げた北朝鮮敵視の異様な雰囲気。朝鮮学校生徒へのチョゴリ切り裂き事件や脅迫、暴行…。このあまりの時代錯誤の日本の状況にフェミニズムの論客・上野千鶴子東大教授は「全く不愉快。日本人拉致被害者や家族の日常や一挙一動を追い続けているメディアの状況はひど過ぎる。何でここまで報道する必要があるの」と疑問を投げかける。 「拉致事件をメディアがエモーショナルに煽り、誘導すればするほど、日本人は被害者然として安心していられる。鬼の首でもとったような心境になれるのでは」と上野さんは見る。 そのようなメディアの洪水報道の結果、発生したのが、在日への嫌がらせであり、朝鮮学校の女子生徒たちへの相次ぐ卑劣な闇討ち的行為である。「こうした女、子供を狙う弱い者いじめの、陰湿な暴力が発生することには暗澹とします」と上野さん。 日本ではたとえば、石原都知事の「3国人発言」など民族排外主義的な発言がほとんど問題化されていない。フランスのルペン、オーストリアのハイダーらには「極右」と必ず形容するのに、日本のネオナショナリストたちの朝鮮への排外主義的な言動については擁護し、それを増幅する土壌が作られてきた。 「出口を求めて蠢いていたネオナショナリストたちのフラストレーションが格好なエサを求めて、拉致問題に飛びついてきた、ということでしょう。異論、反論を許さない嫌な空気を感じる」 このところ際立つ日本のメディアの右傾化。9.11と9.17の共通項は何か。「9.11以降、その恐ろしい光景によって米国は自信喪失状態にある。国民の不安感や国内問題から目をそらすのに『反テロ戦争』は格好の口実となった。一方、9.17によって、小泉政権は半年、無事に過ごすことができた。しかし、年初から小泉首相の靖国神社参拝問題によって、朝鮮半島や中国などはもとより、自民党内の保守派からも批判の声が出てきている。このような行動は国益にとってマイナスだと考えるのが、保守合理主義のはず。しかし、彼らは右のタカ派ほどの力を持たない。日本では空疎で感情的なナショナリストたちが力を持ち、外の世界を見ようとしない」。 上野さんは9.11以降、米国は見えない敵に向けて、世界でいちばん豊かな国の国家暴力を動員した、と語る。「たたきのめせ、という声が聞こえる。やってしまえ、という合唱が起きる。そう言えるのは、強者の権利。強大な軍事力という危険な道具を手にしたものの奢りである」と。 9.17の後の日本にも似たような現象が起きた。「日朝平壌宣言によって、北朝鮮との関係を冷静に解決しようとする動きがあったにもかかわらず、拉致問題で、日本人の心に情緒的なナショナリズムをかきたて、国内のさまざまな問題から目をそらすことに成功している。不況や失業などを背景に、日本では国民の不満や不安のハケ口を求めて沸点が来ている感じである。とても、嫌な感じ」と上野さんは繰り返し指摘した。 上野さんは、日米関係についても辛辣に批判する。「イラク問題や対北朝鮮との関係についても、日本はただ米国に忠誠を誓うだけ。戦後の日本に外交といえるものはそもそもなかった。あったのは、日米関係だけ。湾岸戦争の時も日本が一方的に荷担することに反対の声があがったが、政治的な声にならなかった」と指摘する。 この時と同じように、拉致問題でも、メディアが国家と共犯関係を築きながら、「日本人を守れ」と大合唱する。イージス艦派遣反対の声もかき消されてしまった。 こうした一元的情報が支配する日本のメディアの状況を変える有効的な手段があるだろうか。上野さんはCNNの例を上げながら、かつては湾岸戦争では多角的な報道で、信頼を得ていたCNNが、今ではコマーシャナリズム支配と情報統制下に置かれて退行してしまった、と指摘した。大スポンサーの支配を受けるマス・メディアの限界があり、多元的でオルタナティブな情報を得るためには、インターネットの活用など、バランスの良い情報を得ることが大切だと語る。 上野さんは、日本の拉致の洪水報道の中で、在日朝鮮人の一部の人々が、日本人に「謝罪」の言葉を口にすることに違和感を持つという。「知らなかった自分の不明を恥じる、というのならわかる。でも国がしたことに在日の人たちが謝罪するのを見るのはつらい。こんなことを在日の人に言われたくないし、言わせたくない」と。日本は朝鮮半島を植民地にし、分断にも大きな責任を負っている。長い間封印されてきた朝鮮半島の分断についても、ポスト冷戦後、日本内で責任意識が出てきたと上野さんは指摘する。 日本はアジアのなかで生きていかなければならないからこそ、そのためのリアルな認識を持つべきだ、と。(東大教授、上野千鶴子さん)(朴日粉記者) [朝鮮新報 2003.2.18] |