〈インタビュー:拉致報道とメディア〉 山際永三(人権と報道連絡会事務局長) |
反朝鮮の社会的ヒステリー煽る 人権と報道・連絡会は、いわゆる情報化時代のマスメディアの在り方が、従来からの「報道」の意味内容を変えつつあるとの基本的な認識のもと、とくに報道されることによる人権侵害をなくすために運動を展開してきました。90年代に入ってからのマスコミの状況を見ていると、非常に危険なものを感じます。94年の「松本サリン事件」、95年の「オウム事件」、97年の「神戸小学生殺害事件」、98年の「和歌山カレー事件」など、何か大きな事件が起こると、大規模なメディア・ヒステリーとも言うべき現象が起きています。 自主性失ったマスコミ 今回の拉致報道もその延長上で、より深刻な状況が現れています。まず、問題点としてあげられるのは、メディアが「家族会」や「救う会」、とくに「救う会」のコントロールに自ら入ってしまっている点です。「救う会」が窓口になり、マスコミに対して質問項目を出させて、この質問はやめろとか、ひとつひとつチェックしている。各社が大勢で押しかけるメディア・スクラムはやめろという名目で、直接取材をさせない。代表取材という形で1社だけが質問し、カメラも1社しか入れない。またメディア側もその制限に唯々諾々としたがっています。ある雑誌記者が帰国した5人のある家に行って写真を撮ったらしいんです。すると男性が来て、「おまえ、何をやっているんだ」と言いながら「ここは禁止区域だから写真を撮ってはいけない」と言ったらしい。それで「あなたは誰なんです」と聞くと、マスコミの人間なんですね。マスコミの人間自身が取材対象者の家を警備し、小さな会社の雑誌記者を追い返す。マスコミの自主性、報道の自由も地に落ちたと思わざるを得ない状況です。 しかも、料理をしているところや家族で温泉旅行に行っている場面など、本来報道する必要のない生活の些細なことまで掘り返す。それを書いたり放映すればそれだけ売れる。とくにテレビは情緒的なメディアで、理性抜きで「かわいそうだ」と煽ることだけに集中しています。現地の記者たちのなかには、ばかばかしくてやってられないと言っている人もいるようですが、日本の商業主義メディアではそれをやらないと他社に負けてしまうから仕方がないわけです。 報道内容も意図的に編集したもので、現実のものとは別のものと考えなければなりません。裏で「救う会」の人たちがコントロールして、「北朝鮮がすべて悪いんだ」という材料があれだけ意図的に流れてしまうと、またかと思いながらも、「やっぱり北朝鮮はひどい」という意識が日本人のなかに刷り込まれていってしまう。結果的に、日本の朝鮮に対する排外主義という社会的ヒステリーをマスコミが煽っていることになっています。 意図的に朝鮮を揶揄 拉致報道からさらに、朝鮮そのものを攻撃する内容に報道がシフトしています。ひどいものになると、取材で朝鮮に行ってきた記者が「これは北で売っていた歯磨き粉のチューブで、臭いがひどくてとんでもない代物です」なんて報告している。他の国に対して本当に失礼きわまりない。何の検証もなしに、ほとんど誤報のような情報を垂れ流しにする。これはいま始まったことではなく、食糧問題など、朝鮮をあげつらう報道は以前から繰り返されてきました。 核問題に関しても、朝鮮側がまったく認めていないにもかかわらず、米国の言い分だけを聞いてどんどん報道してしまう。その結果、朝鮮が核開発を進めているということが事実であるかのように、既成事実化してしまっています。朝鮮が濃縮ウランやプルトニウムを抽出しているといいますが、日本はどれほどの濃縮ウランやプルトニウムを持っているのか。米国など大国は核兵器を持っていいが、他の国は持ってはいけないというのも一方的な論理です。しかも朝鮮は電力に利用するだけで核兵器を作るとは言っていない。しかし、マスコミの報道によって「北朝鮮は核兵器を作ろうとしている」という認識を一般の人々は持ってしまっています。 後ろめたさの裏返し 日本は「朝鮮併合」を悪いことではなかった、国際法上違法ではなかったとずっと言ってきました。政府が言ってきただけでなく日本社会全体に反省がない。今回のマスコミ報道を見ても、過去の日本の犯罪行為に対してはほとんどといっていいほど振り返ったり検証することをしないで、いまの拉致だけを問題にしている。「戦争のときは仕方がないんだ」とか、「植民地は西欧の列国もみんな持っていたんだ」とか、そういう言い訳をして正当化し、「いまの平和な時代に拉致をするとは何事か」「これこそ国家犯罪だ」という論理です。このような傲慢な日本、日本人の態度は、過去、朝鮮をはじめアジアの人たちに対してひどいことをしてきたという、心の隅にある日本人の後ろめたさの裏返しではないでしょうか。拉致問題が明らかになり、「もう日本人は後ろめたい気持ちを持たなくていいんだ」「大手を振って北朝鮮を責められるんだ」と、コンプレックスを解消したようなつもりになっている。ただ過去を反省しないだけではなく、居丈高になっています。そういう意識、態度が今回の拉致報道では著しく現れています。 昨年9月17日の平壌宣言は朝鮮との関係を正常化する絶好の機会でした。そして、日本の朝鮮やアジア諸国に対して行った侵略や戦争の犯罪を見つめなおし清算する最大のチャンスでもありました。それを日本側が自ら断ち切ってしまったのです。そしてマスコミが率先してそれに加担しました。このことがもっとも残念なことであるし、糾弾されるべきことだと思っています。 人権と報道・連絡会ではここ数カ月の定例会で、拉致報道問題を集中的に取り上げマスコミの問題点を訴えています。大きな効果は望めないかもしれませんが、私たちは冷静な批判をしていくしかないと思っています。 [朝鮮新報 2003.2.7] |