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女性の平和資料館建設を−松井やよりさんを悼む

 旧日本軍の性奴隷制を裁いた「女性国際戦犯法廷」(「女性法廷」)の提唱者でジャーナリストの松井やよりさんが肝臓がんで闘病の末、12月27日、死去した。68歳だった。告別式は松井さんの父で、牧師の平山照次さんが戦後すぐに創設した東京都渋谷区の東京山手教会で多くの人たちが参席して行われた。

 松井さんは10月12日、東京都内で開かれた「健康回復を願う友人の集い」に出席し、重い肝臓がんにかかっていることを告げた。この時「余命がどのくらいあるかは分からないが、残された時間のすべてを使って女たちの戦争と平和資料館」を造りたいと語っていたが、文字通り、死の間際まで「平和と非暴力の21世紀を築く闘いを後進に引き継ぎたい」という火のような激しい思いを燃焼させた壮絶な死であった。

 告別式では親交の深かった大津健一日本キリスト教協議会総幹事が思い出を語りながら「松井さんはアジアや世界の人々との出会いを大切にしながらジャーナリストとしての仕事を全うした。病の床にあっても拉致事件報道一辺倒のメディアの姿勢に怒り、イージス艦をインド洋に派遣した日本政府に怒っていた。私たちは『おかしいことはおかしい』と声を上げ、国境を越えて、社会を代えようとした松井さんの遺志を継いでいこう」と語った。

 また、友人の美術家・富山妙子さんは「人生の道連れだった」やよりさんを失った悲しみは例えようもないと述べた。2人は共に70年代のアジア各国での民主化闘争で出会い、日本の経済成長の影にある開発独裁、そこから生まれたキーセン観光や公害、人権侵害によるアジアの女性たちの貧困やうめきを聞いて、立ち上がった同志であり、「戦友」だった。富山さんは激務の社会部記者時代の松井さんの素顔を生き生きと語ると共に、退職後そのすべての情熱とエネルギーを傾注した約4年間にわたる「女性国際戦犯法廷」の準備と実現過程で「人生を燃え尽くした」と指摘。そして、「松井さんの存在は日本の良心であり誇りであった」と早い死を悼んだ。

 VAWW-NETジャパン運営委員の池田恵理子さんも、松井さんが死の恐怖と闘いながら、実現を強く願っていた「女たちの戦争と平和資料館」のために仲間たちと新たな闘いを継続していきたいと語った。

 「女性国際戦犯法廷」を共に担った「韓国」の尹貞玉元梨花女子大学教授の弔辞は、余りにも深い悲しみのため早稲田大学中原道子教授に委ねられ、代読された。その中で尹さんは「愛するあなたはまだまだ多くのことが残されているのに逝ってしまわれた」と述べ、「私たちは同じ国に住んでいなくても、血が繋がっていなくても姉妹として、同志として生きてきた。あなたは、日本軍性奴隷にされた慰安婦や世界各地の紛争で暴力にさらされる女性たちの希望だった」と称えた。

 松井さんは病床にあって、本紙11月11日付の「平和資料館」紹介記事を読んで礼状を寄せながら「あんなに大きく取り上げてくれて本当にありがとう」と述べ、資料館の建設と自伝の完成に強い意欲をにじませていた。

 12月30日付朝日新聞には松井さん執筆の最後の記事が掲載された。その中で松井さんは「慰安婦」関係の本だけでも各国から集めた本は数百冊にも上り、世界各地でインタビューして撮ってきた何百枚の写真は箱に入れたままだとして、海外の支援運動を知る文献や資料なども合わせ「1カ所で手にとれれば素晴らしい」との思いを吐露した。

 この類例のない「平和資料館」を民衆法廷の思想によって、国境を越えた市民、女性運動で実現させたいという松井さんの遺志は、世界中の女性たちの手で引き継がれていくことだろう。

 建設準備委員会と基金(TEL 03・5428・1180)(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2003.1.21]