〈金日成綜合大学で教えてC〉 永遠に忘れられない出来事 |
かくしてK君は再び教壇に立ち、「レィディーズ・アンド・ジェントルメン」とスタートする。題名は「朝鮮半島の平和的統一は如何に可能か?」についてである。 K君は昨日とはうってかわり勢いがあった。速度は速くないが一言一言を噛みしめつつ自分の感想と意見を述べる。中断はないが3分が経ち4分を過ぎる頃になると、聞いている私たちの方が嬉しさと焦りの葛藤を演じてしまうのだ。 「あと30秒だ。頑張ってくれよ!」 誰しもそう思ったであろう。5分間終了の鈴を係りの学生が鳴らす。クラスも私もホッとした。 「ああ、よくやったねえ!」 しかしK君はまだその場を去らない。どこか強情っぱりが顔を出している。 「先生、5分経ちましたけれど話のほうはまだ終わっていません」 憮然とした表情で言う。 「ですから終わるまで話させてください」 これには私も2度びっくりした。 「大丈夫かね? 本当に…」 「一生懸命やってみます」 K君のスピーチは10分を過ぎ、15分を過ぎたがさすがにへとへとに見え、それでも何とか16分以上をかけて無事にスピーチを終えた。 私はK君が10分間を越えてもまだスピーチを続けるさまを見ているうちに感動が新たな感動を呼び、いつの間にか目頭が熱くなってきた。 K君は1回分を5分間として、その3倍を成し遂げたのである。 しかし、読者のみなさん、これは少々不自然だと思わないだろうか? 何しろ惨めなまでに地べたへ叩き落された鳥がたった1日の間に息を吹き返し、青空高く羽ばたいたのである。 私は第1班の班長に教壇の前へ来てK君と並ばせた。私はまだ感情を隠し冷ややかに言う。 「班長君、私はすべて自分の力でやるようにと言ったね?」 「はい、そうです」 「だがK君のスピーチはどうも君たちが手伝ったに違いない」 班長はすまなそうに頭を下げる。 「本当にすみませんでした。実は見ていられなくて昨夜第1班全員が色々と分担し手伝ったのです。まだ一人も寝ていません」 やはりK君が超能力的に16分間もスピーチをすることができたのは集団のおかげであった。 私は感情を抑え、批判的な声で、「2人とも、もっと私の前へ来なさい」。 60人の学生たちはどうなるのかと心配そうである。そこで初めて私はにっこり笑うとK君と第1班長の2人を両腕できつくきつく抱きしめる。 「良かった、良かった。こんな嬉しいことはない。君たちは『一人はみんなのために、みんなは一人のために』というスローガンを一番苦しい時に実行し、最高の成果をあげた。日本では見たことも聞いたこともないことをよくぞここまでやってくれた。私は40年近く教育に携わってきたが、君たちの素晴らしい行為を永遠に忘れないだろう!」 私は抑えきれず目にいっぱい涙があふれたが、K君と第1班長も私の胸にうずくもりさめざめと泣いていた。60人の学生たちも総立ちで拍手の嵐が吹きまくった。私はやおら、落ち着きを取り戻すと静かに教室を出るが、その拍手は教室の外でも長く続いていた。そして10年経った今でも耳に生々と残っている。 「ああ、私は学生たちを教えるつもりで来たというのに逆に学生たちからもっと大切なものを教えられた。このような体験を日本に持ち帰り教師としての資質を高めなければ…」 夏休みも過ぎ、やがて11月末となり粉雪がそろそろ降り始め、冷たい風にパラパラとポプラ並木の葉が舞い散る頃となった。ああ、目的は大体達成できた。大学当局の協力も大変なことであったろうと思いながら、いつものようにベンツで凱旋門を通り綜合大学の校門へ到着する。その時、私は目を見張った。続々登校する学生たちの風景がガラリと変わったのだ。彼らは一斉にふくよかな綿入りオーバー・コートを着、兎の毛の入った靴を履いている。コートは男性が藍色、女性はベージュ色で、女性の長靴はとてもファッショナブルである。とにかく8000人の学生がこの2色でぎっしり埋まったのだ。この壮大なパノラマにしばし言葉もなく見とれていたが、他の大学でも全国的に行き渡るのだという。 はからずも共和国憲法第47条にはこう書いている。 「国家はすべての学生たちを無料で学ばせ、大学および専門学校生には奨学金を与える」 この国では世界最長級の11年制義務教育を実施しているが、将来なんと大学までの義務教育を計画しており、すでに一部は稼動されているという。これは共和国による「全社会のインテリ化政策」からくるもので国家的に不変のスローガンである。 私は在日招聘教師第1号として、過去3回、計10カ月を綜合大学で過ごし、つい4年前の大洪水の時にも平壌外国語大学で1カ月半を費やした。「百聞は一見にしかず」である。1年近く教鞭を取ってみると世界でもこういう教育王国はないという結論しか出ないのだ。 現在共和国はここ数年にわたって食糧やエネルギー不足に悩まされているが、過去どんなに苦難の時代でもそれをはねのけ、勝利を手にした歴史が厳として存在しているのだ。抗日パルチザン戦争しかり、朝鮮戦争しかりである。しかも現在はあの頃の比にならぬ強大な軍事力を持ち、インテリ層も何百万と日々育っている。 外勢の軍事、経済封鎖にも自然災害にも負けぬ不死身な強盛大国を私は信じて疑わない。(おわり) [朝鮮新報 2003.8.4] |