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〈金日成綜合大学で教えてB〉 30分にわたりK君を酷評

 K君はすでに結婚して子どもが2人いるという。歳も違うし、経歴は軍隊育ちで遅かりながらよくここまでついてきてくれた。それに2〜3日に1回、それぞれの講義を英語で聞き、それに対する自己の感想と意見をまとめ、その上、原稿を英文に直し感情を入れて口で諳んじるのだ。

 私の知る限りにおいて、日本では有名校でもこういうことはない。それなのにここまでやれただけでもすでに相当なエリート水準なのだ。在日学生諸君! 日本の学生諸君! 君たちにこれができるであろうか? しかも3カ月ぶっ続けである!

 私の日本での経験では1カ月に2回、スピーチをさせると決まって次の言葉が飛び出る。

 「先生、もういい加減にして下さい。つい2週間前にやったばかりじゃありませんか。他の人にやらせてくださいよ」

 …とくる。つまりやる気が本当にあるのかないのかわからないのが大勢なのだ。それに比べるとK君はずっと偉い。

 話を元に戻そう。

 (どう処理すべきか? 私は依頼を受けて教えている招聘講師である。いわば客員ということだ。その客として大切にされながら私は感謝こそすれ、学生を厳しく批判しては実も蓋もないではないか。それではまるでイジメである。しかし、「一寸を与えると次は一尺をくれ」という諺もある。これを譲るといつか第2、第3の学生が出よう。何事も最初が肝心である。しかも学生たちは今、崖っぷちで踏ん張っているではないか! かわいそうだが、せっかく燃え上がった火の玉に水をかけてはならないのだ。昔、諸葛孔明という中国の有名な軍師は手塩にかけた「馬稷」という武将が攻略を誤ったため泣いて斬ったという〔三国志〕。私は泣いて鬼になろう!)

 一物を持った私は、「なぜ準備しなかったのかね?」

 他のクラスメートたちは身動きもせず固唾を飲んで私に集中している。彼らはこういう時、日本ではどう対処するのだろうか? とおそらく興味を持ったに違いない。しかし、日本では学生たちにとり多くは個人の将来が中心になるが、ここの学生たちは国家の将来に関わってくるからこそ、高い次元で処理せねばならないのである。

 K君は下を向いたまま、すみません、すみませんを繰り返すのみで埒があかない。

 私は決心の臍を固めた。クラス全員も聞け! とばかり30分にわたりK君を酷評した。

 私の声は、時に雷のように、時には哀しそうに、そしてあの抗日戦争のさなかにあった「苦難の行軍」を思い出させたりした。中でも私はこう言う。「そのような厳しい軍隊生活を10年も鍛錬してきたなら、なぜその模範をクラスの先頭にたって示そうとしないのか! ずーっと見ているとその立場にある君が一番消極的である。それでも軍隊では手柄を立てたと言えるのか? 心して答えなさい!」

 …と言ってのけた。それも確信を持ってである。後にこれを知ると先生や学生たちはきっとたまげるであろう。明日にでも呼ばれ、授業中止とか、日本へ帰ってくれと言われても、悪びれずにそうしよう。これはある意味でショック療法だったかもしれないが、このくらいのことは朝鮮大学校では何回か経験している。その言葉の中に教師の真実を知り、最後まで従った学生の多くは、日本の大学や新聞社など大型英語スピーチ大会で活躍し、優勝、入賞はおろか、毎日新聞、NHK杯優勝ではテレビにまで招かれた。

 また、世界でも超一流のオックスフォード大学を卒業して博士号を取得し、英国のグラスゴー大学で教鞭を取っている卒業生もいて学会の回報に何回も論文を発表し注目されているが、みなこういう厳しい指導に耐えてこその成果なのである。

 果たして私のK君に対する批判を学生たちは一体、どう受け止めたであろうか? ドラマは次の日に起こる。

 その日がやってきて諸先生方とあいさつを交わしたが別に変わったこともない。あれ? と内心思ったが、時間なので教室へ入る。

 「昨日は問題があったが今日はK君の次の番から始めます。M君からだね?」

 M君が手をあげて教壇へ近づこうとすると何としたことか一番後ろにいた昨日のK君がヌーっと一緒に立ち上がり、右側と左側から2人がやってくるのだ。私はK君を初めから無視していたのだが、どうも様子が違う。2人は教壇の前まで来て止まる。

 「K君、今日はもういいんだよ。席へ戻りたまえ。M君からすることになっているからね」

 しかし、この30代のがっしりした体は梃子でも動こうとしない。

 「昨日はすごく反省しましたので、死に物狂いで準備しました。どうぞ特別にスピーチをさせてください。この通りです」

 と頭をひたすら下げる。哀願する姿勢と、そのいじらしさを見て私の心は揺らいだ。

 しかし、建前も時により必要である。

 「今日は君の出る予定がない。昨日のことが身にしみたら次の課題でスピーチをすればよい。今日はダメです」

 わざと突き放す私も辛い。今日も失敗したらどうしようかと思うからである。それでもK君は動かない。その時、班長が立ち上がった。「先生、K君にやらせて下さい!」

 するとちょうど、合同授業中だったので第2班、第3班の班長も立ち上がり、「ぜひさせて下さい」。

 彼らの姿勢はいつも低く非常に丁寧である。

 これがわが子であったらとも思う。

 「みながそういうのなら一度やってみなさい。M君は明日にしよう」(金漢鎬、在日教育家、つづく)

[朝鮮新報 2003.7.31]