〈金日成綜合大学で教えて@〉 アメリカ英語の教育を決意 |
朝鮮大学校外国語学部教授だった金漢鎬さんは、朝鮮最高峰の教育機関である金日成綜合大学に招かれ、88年から90年までの間、計10カ月間講師を務めた。その体験談を4回にわたり連載する。 私はある日突然、金日成綜合大学の招聘を受けた。 ちょうど梅雨の明ける頃、東京の小平市では森や林にアブラ蝉がジージー鳴き出し、ひとしお蒸し暑さを感じさせていたが、この知らせを聞くと私の心は天を仰ぎ、すずろに風切る在日の教育使者としていかに晴れやかであったことか! (金日成綜合大学といえばもちろん、共和国最高の教育殿堂である。したがって私の一挙一動が祖国に影響を与えるのみならず在日同胞の教育評価にも繋がるのは必至である。 人生すべからく教育者として最高殿堂に立つ以上、絶対に悔いを残さぬよう学生たちに取り組もう。何より心血を振り絞ることだ。私の専門は英語の3カ国語=朝・英・日通訳とスピーチおよび高等英会話が中心で、綜合大学でも私にそれを望んでいるに違いない) さらに考えを広げた。 総合大学では英語、日本語、フランス語、スペイン語、ロシア語、ドイツ語からアフリカのスワヒリ語など国際外交、文化交流、貿易など必要な外国語をすべて網羅している。 しかし何といっても英語が圧倒的な主役である。その英語の何をいかに限られた時間内に教えるべきか? いや、その前に私の立場をもっとはっきりさせよう。今、共和国は米国を相手にしている。 その米国が朝鮮半島の平和的統一を歴史的に阻み、第2の朝鮮戦争まで目論んでいる。関係者によると平壌市にアメリカ人はたった1人しかいないという。それはベトナム帰りの脱走兵である。私は大同江ホテルのバーで2、3度会い、ビールを飲みながら話をしたが、アメリカ英語を使うのですぐわかる。時々故郷が恋しいのか、独り言をつぶやきながら何かを思い出したように私の顔を酔った気分でジロっと見るのだ。その他、イギリス人が住むという話はついぞ聞いていない。 だから私は自分を米国人に仕立て、綜合大学での最初のあいさつから英語を使い、ウリマルの通訳を付けさせよう。これからは学内に入る途端から関連の先生や学生に徹底して英語で始まり英語で終わろう。これこそがまさしく私の役割に違いない! と決意した。 平壌に着いた私は、案内人と差し向けられたベンツに乗り綜合大学へ初登場した。 これまで数千人の学生を日本で教えてきたし、20に余る国際会議の経験も手伝ってか、物怖じするどころかやる気十分で、この大切な舞台を外すと私の出番はもうないと思ったほどである。 (祖国があってこそ自分がある。あの忌まわしい植民地時代は奴隷時代と変わらなかった。それを直接体験した私にとり、祖国を持つありがたさほど身にしみるものはない。それに共和国では私の3人の弟、妹が無銭で帰国したにもかかわらず、全面的な無料教育に奨学金=生活費まで頂きながら卒業することができた。 私にとりビジネスマンならいざ知らず、貧しい家族としてこんな待遇を受けさせてくれるのは日本では到底ありえぬことで、私はそのささやかなお返しも兼ねて頑張らねば…) さて私はその学部の部長室へ入る。 「先生のことはよく聞いています。実は2年半も前から待っていました。うちの学生たちは文語学的には大丈夫で水準は高い方だと思いますが、何しろ話す機会がなかなかなくて苦労しています。朝鮮大学校での都合もあるでしょうが、せめて1〜2カ月ぐらいでも英語でどしどし話してあげてください」 私は言う。 「お言葉を返すようですが、私の経験では最低3カ月なければ終わった時に何をしたのか結果が具体的に出ません。私も腹をくくってきた以上、何かしるしというか少しでも成果を判然とさせて日本へ帰りたいと思います。 それから先ほど、イギリス英語かアメリカ英語かと尋ねられましたが、私はアメリカ英語です。 今、世界はグローバル時代と申しています。 つまり、敵、味方を問わず現実にイギリス英語はいわゆる第二次大戦後、大英帝国の崩壊と共に縮小し、アメリカ英語が主力となっています。この傾向は客観的にみて、さらに加速される必然性を持っています。米国はこれとは反対に戦争で莫大な利益を得、世界の大国としてのし上がりました。その影響を受け、カナダ、オーストラリア、香港、その他の国々の国際放送は否応無しにアメリカ英語に接近しております。それにわが国は英国ではなく米国と直接関係しているのです。 金日成主席は朝鮮戦争の経験から、敵に向かって話す時には『手をあげろ!』ぐらいの英語は知らねばなりません、とおっしゃいました。 この英語はアメリカ英語のことだと思います。ですから私は今日から先生や学生たちと対面したり、授業の時は一切アメリカ英語で行くつもりですが如何でしょうか?」 どうも押しかけ女房のようになってしまうが次の日、早速部長に呼ばれた。答えはただ一つ。 「ハノ先生の思うとおりにやってください」 もう私の「キム」という姓を外して呼び、ニコニコしていたが、お笑いめさるな、この間、ずーっと講座長の通訳付きである。(つづく) 金漢鎬【経歴】1928年4月7日東京生まれ。48年日本外務省通訳試験に合格。57年から茨城朝鮮初中高級学校教員。72年から99年まで朝鮮大学校外国語学部で講座長などを務める。専攻は英語。88年在日同胞初の金日成綜合大学の招聘講師として現地に赴く。89、90年にも赴き、99年には平壌外国語大学にも。東京オリンピックなど20余りの国際舞台で通訳(同時通訳含む)する一方、英会話参考書、詩集、随筆など多数執筆。 [朝鮮新報 2003.7.24] |