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われらの願いは恒久平和−朝鮮戦争勝利50周年、語りつがれる体験

変わらぬ対米観

 核問題をめぐって米国との対立が激化するなか、朝鮮戦争勝利50周年を迎える朝鮮。現地ではこれを機に、朝鮮戦争勝利記念館や信川博物館、祖国解放戦争史跡地などへの参観事業が職場、学校別に行われ、戦争功労者との面会、懇談会も頻繁に行われている。

 家庭でも、老世代が新世代に自身の戦争体験談を話す機会が多くなった。

 「単純に戦勝50周年を迎えるという理由だけではない。今日の情勢の要求だ」

 新世代との懇談会に積極的に出演しているある共和国英雄は、米国との対決に臨む姿勢と立場は「昔も今も少しも変わらない」と強調する。

 今年1月、朝鮮は政府声明を発表し、核不拡散条約(NPT)からの脱退を宣言した。声明は、NPTからの脱退理由を、米国の核脅威と孤立圧殺政策に対抗する自衛的措置だと説明している。人民にとっては、半世紀の間、敵対してきた米国との最終決戦が近づいていることを実感させる出来事であった。

 朝鮮半島に一触即発の戦争危機がせまるなか、青年たちが朝鮮人民軍入隊を嘆願する動きがでている。今年3月に行われた最高人民会議第10期第6回会議では「全民軍服務制」が法令として採択された。戦勝50周年という契機が、これらの動きと重なった。

 米国の強硬策には超強硬策で対応するという国の政策を支持する世論の背景には50年前祖国を守るため戦った人々の体験と記憶がある。

「苦難の行軍」乗り越え

 各地の工場、企業所は、「高い生産実績によって戦勝50周年を輝かせよう」というスローガンを掲げている。

 平壌総合紡織工場には、戦争当時紡織工として働きながら、軍服生産で国を支えた労働英雄がいる。すでに70歳だが、今も夜中の12時から朝9時まで夜間勤務している。

 同じ職場で働く女性労働者は、「黙々と働く老世代の姿は、われわれの世代が今日の時代をどう生きねばならないかを無言で教えている」「米国に対する憎悪は、戦争体験者だけにあるのではない。なぜわれわれが苦難の行軍を強いられたのか。米国がわれわれを孤立、圧殺しようとしたからだ」と話す。

 90年代の経済的試練のとき、工場は稼動せず労働者は寒さと飢えに苦しんだ。実際の戦争は起きなかったが、人民には米国との対決構図がはっきり見えた。

 「国を守るためには、軍事力を強化せねばならない。われわれは人民の生活を犠牲にしながらもその道を選んだ。しかし、いつまでもこのような暮らしをしたくはない。もう米国と決着をつける時がきた」(労働英雄)

「敵対関係の清算を」

 有名な詩人呉英才さんは、「われわれは平和を望むが、戦争を怖がったりはしない」と、戦勝50周年を迎える朝鮮人民の心情を代弁する。義勇軍として戦った呉さんは今年、兵士時代の思い出を題材にした詩を発表したが、詩にはこの心情が込められている。

 「米国が朝鮮に対する敵視政策を放棄すれば、今日の核問題も平和的に解決できる。朝米が敵対関係を清算し、一時中断状態の戦争を完全に終息せねばならない。われわれが願うことは、強固で恒久的な平和だ」(金志永記者)

[朝鮮新報 2003.7.24]