〈受験資格問題〉 ぼくたちの思い |
もっと夢に近づきたい 文部科学省の方針が事実であれば、戦後50年以上が過ぎた今も日本では米国、ヨーロッパに対する幻想と、アジアの国々に対する根深い差別と蔑視が残っていると思いました。 英語で授業をする学校は認め、その他は認めない。いつまでこんなことが続かなければならないのでしょうか? インターナショナル・スクールに比べてウリハッキョのレベルが低いからでしょうか? 私はいま高級部2年です。 友だちの中には日本の大学を受験するため、準備している子もいます。昨夏には国公立大学を受験するため、クラブ活動をしながら大検を受けた子もいました。もし日本政府がウリハッキョを認めるのなら、友だちの希望が花咲く道がもっと近づくと思います。 昨年9月17日以降、日本では拉致問題をもって露骨に朝鮮に反対しています。今回の決定はこの延長線上にあると言われていますが、私はそのような見方はしたくありません。しかし、もしこれが本当だったら、文部科学省は何の罪もない朝鮮学校の女生徒たちがチマ・チョゴリも着られず被害を被っていることについて、どう説明するのですか? 僕はこういう時こそ声を大にしなければいけないと思います。不当な日本政府の立場に反対しなければならないと思います。(高賢一、京都朝高2年) 民族学校の大切さ知って 僕は京都韓国学園に通っていますが、この学校に通って本当に良かったと思っています。なぜなら自分が在日外国人であることをはっきり自覚できたからです。もし、自分が一体誰なのかを自覚できないまま日本で生きていくとすればとても悲しいことです。だからこそ、在日外国人として生まれたならば在日外国人として生きていくための教育の場が必要なのです。そしてその場を去った時に不利になってしまうような方向の検討はあってはならないことだと思います。僕は国立大学を受験しませんが、クラスには受験する人もおり、全員が大検を取得しました。 在日外国人が日本で生き抜いていくための自分の拠り所として祖国の文化、言葉、歴史を知り触れること、そして母国への認識が大切なのです。だからこそ僕は民族学校の大切さを伝えたいのです。 朝鮮学校の生徒、ソンセンニム(先生)、父兄の皆さん、今は僕が理解できないほど本当に辛い時期だと思います。しかし、僕たちは同じ民族です。この時期を同じ在日として生きていくために、ともに努力しましょう。そしてともに生きましょう。(李瑛、京都韓国学園3年) [朝鮮新報 2003.3.10] |