願いはワンコリア、大きな虹を−中大阪初中創立55周年記念キム・ヨンジャコンサート |
中大阪朝鮮初中級学校(大阪市東成区)の児童、生徒が3日、同校の創立55周年を記念して大阪厚生年金会館で行われた南の歌手キム・ヨンジャさんのコンサート「虹の架け橋」(主催=同実行委員会、後援=大阪府、大阪市、毎日新聞社)でキムさんと共演した。北南、日本で活躍するキムさんとの触れ合いを、と同校の保護者や地域の同胞が企画したものだ。キムさんは1日には同校を訪問した。 質問コーナー
1日、定刻の12時半。李俊男校長の携帯電話が鳴った。「もう着きますよ」と校舎中に連絡が回る。廊下と階段には「キムヨンジャヌナ(お姉さん)歓迎」のポスター。入り口では幼稚園の園児たちが花束を抱えてキムさんを待ち受けていた。南から日本に活動拠点を移して15年。01年には朝鮮で単独公演を行ったキムさんが朝鮮学校を訪れるのは初めてのことだ。 キムさんが学校に到着すると、校内中に「ワーッ」という歓声がわく。子どもたちは男性重唱「リムジンガン」、カヤグム演奏、朝鮮舞踊などを披露し歓迎。キムさんは、園児たちがオッケチュムをつけながら民謡を歌う姿にうっすら涙を浮かべていた。 つづいては「質問コーナー」。子どもたちにとっても紅白歌合戦などテレビでおなじみのキムさん。「なぜいつも涙を流して歌っているのですか」「日本でウリマルを学ぶ私たちをどう思いますか」「好きな運動は」―。金春実オモニ会会長が「子どもを歌手デビューさせるためにはどうすればいいんですか?」と質問すると、会場がドッとわいた。 質問の集中砲火を浴びたキムさんは、「幼い頃から歌っているので、運動はまったくダメ。舞台の上で運動してます」とユーモアを交えながら交流を楽しんだ。生徒たちとジョイントする「故郷の春」の練習をともにしながら、「あなたたちを祝う公演に参加できてうれしい」と成功を誓った。 子どもたちに刺激
3日、ブルーのチマ・チョゴリで登場したキムさんの公演は、朝鮮で歌われている「パンガップスムニダ」で幕を上げた。金さんは「ワンコリアのメッセージを伝えたい」と2100人の観衆にアピールしながら、「女性が花よ」「また会いましょう」「リムジンガン」「木浦の涙」「ホルロアリラン」「川の流れのように」「北の雪虫」(新曲)など北南朝鮮、日本の歌を抜群の歌唱力で次々と披露した。 公演の最後、中大阪初中の児童、生徒120人が舞台に登場するや、次はキムさんの「質問コーナー」。「夢は何?」「アッパ、オンマ、好きなのはどっち?」。リハーサルにはなかったものだったので、突然質問された洪香姫さん(中3)は「緊張してドキドキだった」。 キムさんは児童、生徒らと「故郷の春」「われらの願い」を熱唱。洪さんは「初めて公演を見たけど、心から歌っている気がして感動しました。一生懸命勉強したら統一のための仕事ができると思う」と刺激も受けたようだった。 会場には日本市民らの姿も。浜出孝さん(69)は「ヨンジャさんの気持ちが子どもたちに伝わっているようでした」と感激していた。 学校は守り抜く
「子どもたちを誇りに思います。異国にいてもウリマルをしゃべれる。舞台でもウリマルできちんと質問に答えるので、こっちが当惑してしまいました」。共演を終えたキムさんも感無量の様子だった。 打ち上げの宴会では学校訪問の様子が納められた写真パネルが披露され、キムさん直筆のサインとメッセージが書き込まれた。その出来栄えを見ようとパネルの前に立った実行委員長の朴志勇さん(46)は、子どもたちの姿に「この笑顔が見たかった」と目を細めた。アボジ会会長、教育会の理事を10数年間務め、学校を支えてきた。「朝鮮半島と日本の架け橋になっているキムさんの姿を通じて、子どもたちに夢を与えたかった」という。 30、40代の実行委員らは、「民族教育と統一のためなら」と公演を引き受けてくれたキムさんらスタッフらの好意、勇気にも胸を熱くしていた。準備の過程は足元から「統一」が始まった道のりでもあった。 実行委員の高明秀さん(43)は「55年間、民族教育の灯火を消さなかったのが地域同胞の誇り。どんなことがあっても学校を守り抜きたい」と誓っていた。(張慧純記者) [朝鮮新報 2003.3.6] |