2003年−ウリハッキョをみんなでささえよう |
同胞の子どもたちが学ぶウリハッキョ(朝鮮学校)は、同胞社会の未来を育てる何物にも代えられない「場」だ。長引く不況で厳しい運営を強いられている学校も少なくないが、大変な時こそ同胞同士、また心ある日本の市民と力を合わせ、学校を守って行くことが大事になってくる。一線で学校を支える各地のオモニ会、アボジ会、新潟の日本市民らによる「朝鮮学校を支援する会」のメンバーに今年の抱負を語ってもらった。
信頼築き日本の保護者と共に 昨年10月、オモニ会は初めて近隣の横浜市立三ツ沢小学校を訪れ、同校の4年生の子どもたちと文化交流をした。チヂミの作り方と朝鮮の歌「ワンホバク」を教えた。三ツ沢小4年の担任が本校に交流を呼びかけたことから4年生同士の交流が始まったのだ。 子どもたちはすでに朝鮮語を自習しており、朝鮮語の歌詞に日本語で読み方をふっていた。私たちは連音化など朝鮮語独特の発音を教え、「朝鮮語は発音の幅が豊かでいろんな国の言葉を表せるんだよ」と話してあげた。子どもたちは「へぇー」と驚いた様子。ランランと輝く目、真剣な表情が新鮮だった。 時あたかも拉致事件で日本中が朝鮮への反感で覆われていた頃。三ツ沢小へ向かいながらも「本当に行ってもいいの」という不安で悶々としていた。しかし、子どもたちの楽しむ姿に不安は一気に吹っ飛んだ。側でつぶさに子どもたちの表情を追っていた校長先生は、昨年11月に開かれた本校のバザーの際、お祝い金を持ってきてくれ、児童たちは「お礼に」と朝鮮学校の子どもたちにチヂミを作ってくれた。 朝鮮学校の財政状況は限界だ。お金がないので、オモニ会もキムチを漬けて販売したり、バザーを開くなど当面の資金繰りに追われている。オモニ会の活動で昨年学校に行ったのは365日中、100日。必死の日々だったが、私たちはいつまで慢性的な資金不足に悩まされなければならないのだろうか、何度自問自答したかわからない。 日本政府や自治体の助成金を勝ち取り、安定した財政基盤を整えること−。本来、オモニ会がすべきことは子どもの未来をしっかりと築くことだと思う。 今年の夢は日本の保護者と行政に補助金の要請に行くことだ。そのためにはもっと多くの人たちに朝鮮学校の苦しい実状を知ってもらわねばならない。毎年近隣の青木小、三ツ沢小、栗田中と合同で開いている交流会でも、経済的に苦しいということを切々と訴えた。その思いが伝わったのか、青木小はオモニ会が漬けているキムチを同校の行事で販売してくれ、バザーのチラシも500枚配ってくれた。そのチラシを見た三ツ沢小の保護者が2月の同校のバザーでキムチを販売してくれるという。助けてくれる人は側にいるのだ。足元を見つめ、日本の人たちと信頼関係を築いていく1年にしたい。(鄭順熙、神奈川初中高級学校オモニ会会長) 想像力豊かな子どもたちを 全国の他の朝鮮学校と同じく、わが京都朝鮮第3初級学校でも保護者たちが一丸となって学校を支援しようと奮闘している。 本校オモニ会(権京子会長)でも学校支援の一助にと、バザーはもちろんフリーマーケットや米、キムチの販売などを実施してきた。オモニたち全員が協力し合いながら、学校を支えている。 このような活動とともにオモニ会で力を入れているのが、情操教育の支援だ。オモニ会が数年前、各教室に学級文庫を設置したのがきっかけでオモニ図書部が発足。現在私も含めた4人のオモニが委員として活動しており、本棚を手作りしたり、アボジ会にも協力を得て図書を寄贈したりするなど、学校図書室の充実化を図ってきた。 なかでもとくに力を入れているのが、「オモニ図書室」の「課外授業」だ。月1回、初級部の全児童を対象に絵本の読み聞かせをするというもので、今年から本格的に始めた。先日はアボジにも出演してもらった。 このほかにも、学期ごとに情操教育を目的としたイベントを行っている。1学期は紙芝居「フンブとノルブ」、2学期はペープサート(人形劇)「他人ばかり信じたたぬき」と朝鮮の童話を題材に行ったが2回とも好評だった。 初めてのことばかりで大変だったが、保護者たちと学校側の協力、そして何よりも子どもたちの笑顔が励みとなって続けてくることができた。 保護者、教員の方々と手を取り合って、これからも子どもたちの本離れを防ぎ、彼らの想像力を養う手助けをしていくためにも今後も「オモニ図書部」の発展にいっそう取り組んでいきたい。(李貞恵、京都第3初級オモニ図書部) ネットワーク作りに力注ぐ 94年に発足した「朝鮮学校を支援する新潟県民の会」のメンバーとして、県知事や県議会、新潟市長や全県の市町村議会に新潟朝鮮初中級学校の処遇改善を求める陳情や署名活動、体育館改築のための県からの助成金支給を求める活動などをしてきた。体育館修築のための助成金は、直前になって駄目になってしまったが、それでも市民団体に働きかけ、カンパを募り寄付することができた。 また、一昨年3月には県弁護士会に「新潟朝鮮初中級学校の教育に関する人権侵害救済申し立て」を行った。県弁護士会はすでに学校側、新潟県と市、両教委に対する事情聴取と学校視察を終えている段階だ。 県弁護士会から勧告書が1日も早く出されればと思っている。それを機に助成金や進路問題など財政、制度的にさまざまな制限を受けている朝鮮学校での民族教育がきちんとなされるよう大衆的な運動を広げていきたい。 日朝首脳会談後の情勢はかなり厳しいので、署名運動などは大々的にはできないと思う。その分、県や市当局をはじめとする関係者らに対してきめ細かく働きかけていく。 それとともに、今年は朝鮮学校を支援する全国ネットワークを作っていく運動に力を入れていく。 一昨年の12月、日本各地で朝鮮学校を支えている支援団体らに呼びかけ、交流会を開いた。交流会では全国連絡会立ち上げへの意思を確認するとともに、@朝鮮学校処遇改善に関する国や行政への要求A各地の「支える会」同士の交流B日本市民への啓発―を柱にし、国会などに要請する際の運動母体であると同時に助け合いの原理を掲げた相互扶助的な団体とすることなどを確認した。 最近、拉致問題がしきりに取り上げられているが、拉致の問題と朝鮮学校の子どもたちの人権問題はまったく別の問題。 今後も状況がどうなろうと朝鮮学校の子どもたちの人権を守る運動は引き続き行っていく。(小山正明、朝鮮学校を支援する新潟県民の会) 「子どもたちのため」一丸となって 「アボジ会」が発足したのは昨年6月。この半年間、学校と生徒たちのために教員、保護者たちが一丸となって学校を支えるためのさまざまな活動に取り組んできた。 「アボジ会」が発足するまでは、85年に結成された「サッカー部後援会」がアボジたちの集う場だった。 元来、泉州地域のアボジたちはサッカー好きで、各地の朝鮮学校初級部児童が集う「チビッコサッカー大会」にかかる諸費用をバックアップする伝統がしっかり築かれていた。残ったお金を学校や運動場の改修に充てたりもしていた。 しかし、どちらかというと、サッカーだけに熱が入るアボジたちが多く、ほかのクラブや学校の運営にあまり関心がなかったのが正直な所だ。 どうにかこのパワーを集中させ、学校全体を引っ張っていこうという趣旨で「アボジ会」を結成した。 活動を始めて一番変わったことは、「オモニ会」との交流が活発になり、互いに関心を持てるようになったこと。アボジ会のメンバーにはとてもいい刺激になっており、「学校全体を見る」という意識が育まれた。 小、中、高を日本の学校で過ごしたので、当初は朝鮮学校の歴史や実情など知らないことも多かった。子どもを学校に送り出した6年前からアボジたちと活動し、いろんなことを学んだ。これからも会長としてやっていく自信はある。 今年は、なんといっても「子どもたちのため」をモットーに、今までできなかったことをどんどん進めていきたい。教員たちとよく話し合い、課外授業や女子バレーボール部のバックアップなど、支援の幅を広げていくつもりだ。 昨年南大阪朝鮮中級学校が廃校となり、ここ南大阪地域では、学生数の減少とともにウリハッキョの存続が難しくなってきているが、子どもたちのために必ず学校を守り、同胞社会の発展のために1人でも多くの子どもたちをウリハッキョに受け入れる環境を整えたい。 そのためにも、教員、学父母、生徒たちが一丸となって学校を守っていく決心だ。(梁宗満、泉州初級アボジ会会長) [朝鮮新報 2003.1.1] |