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プロパガンダではない

 今年の「取材ノート」もこれが最後。何を書こうか迷ったが、読者からいただいた批判のメールがずっと気になっていたので、その事に触れたい。

 批判は、平壌から送った記事についてなされたもの。6.15共同宣言発表3周年に際した企画物で、6月4日付1面に掲載された朝鮮語の記事だ。

 記事は、昨年6月に米軍の装甲車にひき殺された南の2人の女子中学生を名誉生徒として登録した平壌の中学校の話を題材にしたものである。これに対し、「北の反米プロパガンダに利用された最低の記事」とのお叱りを受けた。朝鮮の人々の真意を十分に伝えられなかったことは、筆者の力不足と認識している。ただ、「プロパガンダ」ではないことはわかってもらいたいと思った。

 そう感じたのも、7月に黄海南道信川を訪れたからだ。ここは、朝鮮戦争時代、米軍の虐殺行為が最もひどかった場所だ。母親と子どもを別々の倉庫に閉じ込め、火をつけて焼き殺したことは有名な話だ。

 7月27日の朝鮮戦争停戦50周年に際し、朝鮮では米軍の戦争犯罪を裁く国際法廷が開かれた。当時は敵として参戦した米老兵代表団をはじめ世界各国から人々が集まった。そして、被害実態を調査するため信川を訪れた。

 阿鼻叫喚の中で奇跡的に生き残ったキム・ミョングムさん、米軍の暴行で今も全身不随の婦人など、犠牲者らが直接当時の状況を語った。彼らの訴えとも言える証言に、言葉もない外国人たち。「米国は彼らに謝るべきだ」。元米兵のジョージ・キャンベルさんの言葉が印象的だった。

 犠牲者たちの姿を見ながら、朝鮮戦争はまだ清算されていないことをあらためて思わずにはいられなかった。だからこそ、北の人々にとって、反米は決してプロパガンダではないと言える。彼らにとって、反米は心の底から湧き出る「血の叫び」なのだ。(聖)

[朝鮮新報 2003.12.23]