〈女性同盟足立支部バス旅行〉 高麗神社などを元気に歴史散策 |
「天高く馬肥ゆる秋」。空に雲一つない秋晴れの19日、女性同盟足立支部の高麗神社、長瀞への日帰りバス旅行に同行した。 一行は87歳の金順任さんを筆頭に42人の元気印の女性たち。足立から首都高速で約1時間半、そこはもう晩秋の武蔵野。すすきや紅葉、真っ赤な実をつけた柿の木が、季節の移ろいを鮮やかに印象づける。 懐かしいチャンスン 東京から2時間程で、高麗神社の門前へ。朱塗りの「天下大将軍」「地下女将軍」の「チャンスン」が目に飛び込んで来た。1世にとっては朝鮮の田園風景を思わせる懐かしい朝鮮独特の災厄防除、悪魔退治の守護標である。 「ここで、記念写真を撮りましょう」という同支部沈裕子総務部長の掛け声でみんなにこやかに写真に収まった。旅なれた装い、軽やかなスニーカーの李国順さん(72)は、4年前に夫に先立たれ、今は一人暮らし。支部の旅行や分会の集いにはほとんど顔を見せる。「夫が亡くなった当分は、寂しかった。でもくよくよしても仕方ない。今はヘルパーの仕事に就いて、老人介護や家事援助で忙しくしている」と明るく話す。健康の秘訣は、何事も前向きに考え、体をせっせっと動かすことだと言う。仲間と旅行に行ったり、ビデオを見たり、理想的な健康ライフを過ごす。 最高齢の金順任さんも負けていない。みなが舌を巻く軽やかな足取りで神社の玉砂利をキュッキュッと踏みしめて歩く。「旅が大好き。支部の旅行は欠かしたことがない。山歩きもよくいくよ」とこちらも意気軒昂。それもそのはず、気孔教室にも通い、何事にも好奇心おう盛で、日頃の鍛え方が違う。 さて、一行は1300年前に渡来して、武蔵国を開発、ここで没した後、祭神として崇められてきた高麗王若光に思いをはせながら、境内を散策。江戸時代の屋敷として重要文化財に指定されている「高麗家住宅」なども見て回った。 金月順さん(57)も歴史散歩が大好きな一人。京都、奈良にも出かけ、日本の中に息づく朝鮮文化に造詣が深い。「高句麗、新羅、百済の文化の足跡は日本列島のあちこちに鮮やかに刻まれている。その中でも、高句麗の祖先から現代に至る1300年もの家系図を連綿と伝える高麗家の存在はすばらしい。朝・日間の歴史を学ぶためにも、若者にぜひ訪れてほしい」と語っていた。 散策の後には、始祖若光の直系の子孫で、59代宮司、高麗澄雄氏の長男、文康さん(35)の話を社務所で伺った。 次代の宮司であり、3歳の息子にも恵まれた文康さんは、ユーモアたっぷりの話しぶりでオモニたちを笑いの渦に巻き込んだ。 「私の祖先は高句麗人です」と切り出した文康さんは「祖先が偉かったので、大和朝廷から貴族に列せられて、その後、鎌倉時代まで約500年間は、渡来してきた高句麗人同士の婚姻を続けました。残念ながら南北朝の頃は南朝側についたので、家の存亡の危機にも直面したことがあります。それ以降は『戦(いくさ)に出るべからず』の家訓を守ってきました」。文康さんは族譜のレプリカを前にしながら、「この1300年の間にはできの良いのも悪いのもいましたが、祖先から伝えられてきた高句麗の伝統と文化をそれぞれが守り続けてきました」と胸を張った。胸に染み入るような話に一行は惜しみない拍手を送っていた。 同胞との出会い 高麗神社でのひとときはあっという間に過ぎて、一行はいざ秩父路へ。 秩父も708年、新羅人による「和銅」の発見によって文化的一大事件の発祥地となった。また、高句麗や新羅からの渡来人は、この地に絹織物や採銅の技術を伝えた因縁の深い場所。ここでは、歴史散策は次回にゆだね、一行は長瀞で昼食を取り、豆や漬物などのお土産をどっさり購入した。ところがここでハプニング。昼食を予約した老舗の蕎麦屋さんに雑誌「イオ」や冷蔵庫にはキムチもどーんと置いてあったのだ。 「もしや同胞の方?」と、店の人に聞いたら「そうですよ」と明るい返事が帰ってきた。聞くと店員の孔輝子さん(57)で、店主林桂玉さんは病気でお休みとのことだった。しばらく、同胞たちと談笑した孔さんは「この辺りの日本人もみんなキムチが大好きで、一緒に漬けて仲良くやっています」と語っていた。 長瀞ライン下りの船着き場の近くにも同胞女性がはつらつと働いていた−。帰りのバスの中でもこのことがひとしきり話題となっていた。 今年6月、朝鮮学校のチャリティーライブを大成功させるなど活躍が目立った女性同盟足立支部。一年の締め括りに朝・日交流のルーツを学び、互いの親ぼくを深めて、晩秋の景色に心を癒す盛り沢山の旅となった。(朴日粉記者) [朝鮮新報 2003.11.28] |