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〈関東大震災−朝鮮人虐殺から80年〉 朝鮮青年学生追悼式に参加して

 8月31日に東京の荒川河川敷で開かれた「関東大震災 朝鮮人虐殺八〇周年在日朝鮮青年学生追悼式」に参加した東京朝高生2人の感想文を紹介する。

苦難の歴史伝えねば

 僕は8月31日、関東大震災80周年追悼行事に参加した。演劇や映像を見ているうちに、殺された同胞たちの無念さはどれほどだっただろう、そう思うにつれ、自然と怒りが込みあげてきた。

 この集会は、僕にさまざまなことを教えてくれた。まず、日本は植民地支配による戦後補償問題を根本的に解決していないということだ。補償どころか、この事実を隠し、美化しようとまでしている。

 僕は、映像の中で戦後補償問題が解決していない点について述べていた日本人がいたのを見て、このように考えてくれる人がいるのに、その思考をマヒさせているこの日本社会に恐怖を覚えた。異常なほどの反共和国報道、それにあおられた形で起きる、学校や総聯に対する脅迫や銃撃事件。まさに80年前を思い出させるようなことばかりが起きている。日本政府の政策は植民地時代から何一つ変わっていない、とある人が言っていたが、なるほどそうだ、と納得してしまった。

 だからこそ、僕らはまずこの歴史を絶対に忘れてはならないと思う。近年、過去にあった「負の歴史」をなかったことにしようとする日本社会の雰囲気に流され、ウリハッキョの生徒の中にも過去の問題に無関心であったり、よく知らない人がいる。僕は一生徒としてこうした現象をたいへん恥ずかしく思う。

 世代交代が進む中で、僕らセセデ(新しい世代)たちは1世同胞たちの苦難の歴史を後世に伝えなければならない。そして、歴史をしっかりと知り、朝鮮人として堂々と生きていくことが、僕らに出来ることであり、しなければならないことだと思う。

 日本政府が事実を認め、謝罪するその日まで、僕らセセデはたたかっていかねばならない。(朴玉三、高3)

忘れてはならぬ痛み

 「朝鮮人が井戸に毒を入れた…」

 関東大震災と聞くと、まずこのフレーズが頭に浮かぶ。数年前に日本語の授業で習った内容だ。授業で習った話をずっと覚えているほど勉強熱心ではないが、何もしない朝鮮人を日本人の混乱を抑えるためだけに虐殺したということがあまりにも衝撃的で、今まで忘れられなかった。

 8月31日、私は関東大震災で虐殺された人々を偲ぶ在日青年学生の集会に参加した。そこでは当時を再現した演劇が上演され、証言者の映像も上映された。

 演劇では狂気に満ちた日本の民衆が、「不逞の輩」と言ってくわや竹やりを持ち、追い詰めた同胞たちを殺していた。当時の同胞たちは、どれだけの恐怖を体験したことだろう。本当に鳥肌が立った。

 しかし、その後の街頭インタビューの映像では、日本の人は何もわかっていなかった。若い人ばかりではない。中年の人やお年寄りも、「朝鮮人虐殺など聞いたこともない」と言っていた。

 9月1日が何の日かは、テレビを見ても他の資料を見ても、「防災の日」としか出ていない。ただ、関東大震災があり、人々が大混乱に陥ったと伝えるだけだ。

 日本政府は、私たちのハラボジ、ハルモニがどんな恐怖にさらされたのか、なぜ無残に殺されなければならなかったのかを今日まで隠してきた。

 私たちはこの痛みを忘れてはならない。私たちがそれを忘れた時、事実はなかったことになってしまう。1日も早く、真実が認められなければならない。そして、多くの後世の人々に伝えていかなければならない。(金恵暎、高3)

[朝鮮新報 2003.9.8]