〈関東大震災-朝鮮人虐殺から80年〉 各地で追悼式 |
関東大震災(1923年9月1日)時の朝鮮人虐殺80周年に際し、当日の1日と8月31日、東京、埼玉、千葉、神奈川、群馬で追悼式などが行われた。式では日本政府が虐殺の真相を究明し、謝罪と補償を行うことなどを強く求めた。これに先立ち 総連千葉をはじめとする県下の同胞らは29日、県庁を訪れ、政府が虐殺事件の原因と国家責任の所在を明らかにし、謝罪と賠償を行うよう堂本暁子知事に要請した。 東京
1日、東京同胞追悼式が都立横網公園内にある朝鮮人犠牲者追悼碑前で営まれ、総連中央の許宗萬責任副議長、都下の活動家、同胞、学生ら約800人が参加した。 許責任副議長と各 総連の団体、事業体代表らが献花した後、参加者たちは犠牲者の冥福を祈り黙祷した。 追悼の辞を述べた総連東京都本部の金守埴委員長は、関東大震災が発生した直後、当時の日本統治者たちは、政府に注がれる民心の不満を免れるため国家権力機関と警察、言論を動員し、「朝鮮人が暴動を起こす」「朝鮮人が火を放った」「井戸に毒を入れた」などの流言飛語を流し、戒厳令まで敷いて、罪のない同胞ら6600余人を日本刀などで無惨に虐殺したと語った。また、80年の歳月を経た今でも、米国の対朝鮮敵視政策に便乗した日本の一部政治家、マスコミなどが民族排他主義的な流言飛語を流し、右翼などの勢力も 総連関係機関を銃撃するなど狂乱的な反朝鮮、反総連、反朝鮮人騒動を引き起こしているとして、これは関東大震災時に起きた惨劇を彷彿させるものだと指摘した。 式典には北と南、在米のほか、日本の友好団体からも連帯のメッセージが寄せられた。 また、東京朝鮮中高級学校の朴智香さんが追悼詩を朗読した。 一方、これに先立ち、同所では日本市民らが主催した関東大震災80周年朝鮮人犠牲者追悼式が営まれ、不幸な歴史の過ちを2度と繰り返してはならないと誓った。(千貴裕記者) 埼玉
埼玉では、県北地域で虐殺された200余人の朝鮮人犠牲者を追悼し、熊谷、本庄の両市と上里町にある追悼碑を回り法要する式典が1日、日本の各行政と地元の 総連、民団の合同で行われた。 式典には総連中央の゙令鉉副議長、総連埼玉県本部の安正一委員長、総連北部支部の李明光委員長、民団県北支部の趙栄來団長、富岡清熊谷市長、茂木稔本庄市長、関根孝道上里町長をはじめとする日本市民、在日同胞と埼玉初中生徒ら計700余人が参列した。 李委員長は追悼の辞で「日本政府は朝・日平壌宣言の精神にのっとり、国家が国家をまるごと拉致した植民地支配時代の過去を清算し、80年が経った今も依然として明らかにされていない虐殺事件の真相と責任の所在を明らかにすべきだ」と述べた。 また富岡市長は、「このような過ちをふたたび犯さぬことを誓い、これからも民族間の友好親善に務めていきたい」と述べた。(李明花記者) 千葉 千葉県船橋市馬込霊園にある追悼碑前で1日に行われた「朝鮮人犠牲者追悼式」には、県下の同胞と日本市民、千葉初中の生徒ら250余人が参加した。碑は千葉西部地域をはじめ県下同胞の思いを1つにして1947年に建立された。各地にある碑の中でも日本政府が虐殺を行ったことが明記されているのはこの碑だけだ。80周年に際し千葉では、虐殺の真相を同胞と日本市民に幅広く知らせ世論を喚起するための写真展示やビデオ上映、講演会と報告会などを行ったほか、日本政府が真相調査と謝罪、補償を行うよう同胞代表団が県知事に要請した。 式では東京都小平市にある国平寺の尹碧岩住職が読経を唱えた後、参加者らが犠牲者を追悼して黙祷した。 実行委員会を代表し宋岩佑委員長( 総連千葉県本部委員長)が追悼の辞を述べ、「朝・日平壌宣言が誠実に履行されれば、虐殺された同胞らの怨念(おんねん)もはらすことができる」と述べ、「われわれは私たち自身と子どもたちの未来の幸福のために、日本政府が真相を明らかにし、謝罪するよう引き続き働きかける」と語った。 また日本の有志2人と千葉初中の生徒が弔辞を行ったほか、 総連中央の呉亨鎮副議長と県下の総連各機関の代表が献花し、参加者らが焼香をした。 式には船橋、市川、習志野、八千代の各市長から生花が寄せられ、司会は総連西部支部の李炳河委員長が務めた。(羅基哲記者) [朝鮮新報 2003.9.4] |