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〈関東大震災−朝鮮人虐殺から80年〉 東京亀戸で開かれた記念集会での山田昭次立教大学名誉教授の発言内容

 事件が起きた年の末、1人の代議士が国会で、官憲が朝鮮人暴動のデマを流した証拠を示しながら、その国家責任を追及した。だが、真相は明らかにされなかった。それから80年という歳月が過ぎてしまった。その「恥の上塗り」を80年続けてきた国家責任を問うのが、今日、日本の民衆の責任でもある。

 国家責任は2つある。第1はデマを流し民衆を虐殺へと導いた責任、第2は国家責任を隠蔽してきた責任だ。

 第2の責任に関しては、官憲も朝鮮人暴動はないことに気づいたが、虐殺は進行してしまった。このまま行けば国家責任が問われると思った官憲は、国家責任の隠蔽政策を模索し始める。司法省は9月20日、「震災後に於ける刑事事犯及之に関聯する事項調査書」を発表するが、放火などの容疑者約140人中120人は氏名すら不明だった。どこに居て死亡したかもわからないという内容だ。またその中には、容疑者でないにもかかわらず、犯罪人として扱っているものや、暴動の証拠とすることができないものも含まれている。

 また官憲は、朝鮮人を虐殺した自警団員の一部を裁判にかけ、責任はすべて彼らにあるかのような外観をつくった。だが、朝鮮人と間違えて日本人を殺した者の実刑率は約59%だが、朝鮮人殺害の実刑率は17%未満だ。朝鮮人を殺してもほとんどが罪にならなかったということだ。

 現在、日本では拉致という国家犯罪にのみ目が向けられているが、自国における二重の犯罪に目を向けない状況が進展している。

 日本民衆は自己の痛みを乗り越えて、国家責任を問うべき時期にきている。

[朝鮮新報 2003.9.2]