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各地の同胞が語る「私とサークル」−オモニバレーボールサークル「ピッカル」(大阪福島)

 茨城県で生まれ育った子どもの頃、女性同盟茨城県北支部オモニバレーボールチームのメンバーだったオモニに連れられてよく練習を見学していた。ずいぶん昔のことだが、今でも体育館で練習するオモニたちの光景が目に浮かぶ…。

幼稚班保護者らと

 「結婚したら必ず私もオモニバレーボールをするんだ」と決めていた。中・高級部とバレーボール部で汗を流し、友情を深めたあの頃。思い出すたび「楽しかった!」の一言に尽きる日々だった。

 茨城から大阪に嫁いで来て、「いよいよオモニバレーにデビューするぞ」と意気込んでいたものの、日々の生活に追われるなか、何年もの月日が過ぎていった。

 その願いがかなったのは4年前。長男が大阪福島初級学校付属幼稚班に入った頃からの保護者仲間とともに「日頃の運動不足解消、ストレス発散に」という気軽さをモットーに、オモニバレーボールチーム「福島ピッカル(光)」を結成した。

 経験者の私がキャプテンを任されたが、思った以上に大変だった。まずは練習場所を確保することが1番の問題だった。大阪福島初級は体育館がないため、抽選で貸し出しを行っている大阪市内のスポーツセンターに毎月応募することから始めた。「週1回は練習をしたい」と思う気持ちとは裏腹に、なかなか抽選に当たらず学校の講堂でストレッチやシェイプ体操をすることもあった。

周囲のおかげで

 応募範囲を広げるうちに体育館も毎週1回確保できるようになり、初心者のメンバーオモニたちも日に日に上達していった。チーム結成を知った大阪オモニバレーボール連盟の李勝鮮会長が指導に訪れてくれるなどの後押しもあり、同胞オモニたちのバレーボールが盛んな大阪で、なんとか試合にも参加できるようになった。

 初めて参加した時の試合は忘れられない。みんな緊張しっぱなしで思い出すだけで顔が赤くなる失敗も多々あったが、メンバー全員が心を一つにして一生懸命たたかった試合は本当に楽しかった。

 この間、子どもたちをみてくれるアッパ、心遣いをしてくれた地域の同胞、日本市民のおかげでバレーボールを続けることができたが、わがチームも現在、メンバーがなかなかそろわず3カ月ほど休部中である。1日も早く練習を再開したいと思っているのは私だけではなく、他のメンバーも一緒だ。ボールを無心で追いかけ、汗を流す心地よさ、メンバーとの楽しい会話、試合での緊張感…この魅力はなにものにも代えがたいものだ。

 還暦まではがんばれるかな? これからも気負わず焦らず、自分たちらしく楽しいバレーボールをやっていきたい。一緒に汗を流しませんか?(徐慶姫、主婦)

[朝鮮新報 2003.8.28]