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大阪市生野区のコリアボランティア協会代表を務める康秀峰さんが全国初の区社会福祉協議会理事に

 約16万人の在日コリアンが暮す大阪。中でも住民の4人に1人がコリアンという生野区で、在日コリアンと日本市民の高齢者、障害者の支援に尽力してきたコリアボランティア協会代表を務める康秀峰さん(55)が、同区社会福祉協議会の理事に選ばれた。全15人からなる理事にはこれまで、地域の町会長や商店街組合員、民生委員などが順繰りで選出されてきた。外国籍住民の就任は全国で初めて。同協会は1月、これまでの活動が評価され、大阪弁護士会の第2回人権賞を受賞している。登録ボランティアは、ユニセフ親善大使の黒柳徹子さんを含む全国約8600人を超える団体でもある。

6歳から弟の介護

 生野区生まれの康さんは、足の不自由な4つ年下の弟明哲さん(故人)を6歳の時から介護してきた。16歳の時、突然リュウマチで全身に激痛が走り、「ハンディを持つ苦しみが身にしみてわかった」。

 大阪朝高卒業後、見習をしていた喫茶店に正式に雇われることになったが、朝鮮人であることを明かした履歴書を渡すと、経営者や従業員の態度が急によそよそしくなった。偏見と差別に耐えられず、その後10数回転職。同時に、足の不自由な弟の自立につながればと、一緒に書道家に師事した。筆を握ると無心になれた。

 72年に区内の実家で小さな書道教室を開く。就職に失敗した若者、離婚で子どもを手離さざるをえなかった女性、家に引きこもる障害者、精神に悩みを持つ人々など、教室には在日だけでなく日本人を含むさまざまな境遇の150人が集まり、みんなの「憩いの場」となった。

 「差別された側が怒るだけでは何も変わらない。怒りを愛に変えれば、いつか心は通じる」

 92年には同胞企業がマンションの1室を提供してくれたのを機に、コリア文化ホールをオープン。94年には300を超える団体、個人の賛同を得て、コリアボランティア協会と改称し、24時間態勢で無償の福祉活動を幅広く進めてきた。

 翌95年の阪神・淡路大震災の時には、私財をつぎ込んで、被災地での炊き出しや訪問介護などに奉仕。

 「同胞は歴史的に差別を受けてきた。だからこそコリアンと日本人がお互い助け合うボランティアが必要だと思った。祖国が分断されている中で、福祉は日本で北南統一を実現できる分野」と康さんは強調する。

 こうした思いから、「民族・国境、ハンディを超えて」、困っている人の生活支援、ボランティア育成、さらには朝鮮への食糧支援も行ってきた。

センター設立へ

 しかし2000年に入り、同協会は思わぬ危機に直面した。部屋の提供者だった同胞企業が倒産したのだ。立退きを迫られ、近くのワンルームに移転したが、すでに貯金を使い果たしていた康さんはたちまち財政危機に陥った。

 それでもスタッフたちはカンパを募り物品販売などをしながら活動を続けてきた。逆境を乗り越えようとしている康さんは現在、協会の新たな拠点となるセンターの設立を目指している。

 社協理事の任期は2年後の3月まで。「コリアンも高齢者も障害者も一番多い生野が住みよい町になれば、差別と偏見は消え、日本も必ず良くなるはず。全力を尽くしたい」と語る。

 康さんには大阪第4初級5年の息子がいる。「名前は希望の希と奉仕の奉をとって希奉。この子は何万人の人々を助けるために奉仕する人間に育てたい」と話しながら、「親を愛するのも愛。恋人を愛するのも愛。中でも名も知らぬ人を愛する愛は最高の愛だと思う。すべての人に手を差し伸べるのがボランティアだ」。(羅基哲記者)

[朝鮮新報 2003.8.23]